2014年10月30日木曜日

2014 秋 誕生日

帰国後一週間で誕生日を迎えました。誕生日は生まれてこれたことに感謝する日。気持ちを一番伝えたい母がいないこの場所にいる違和感がぬぐえず、帰国した理由である片付けにも手がつかず、気分転換ばかりしています。
誕生日当日はお墓参りに行くと決めていました。すると近所の従姉妹夫妻も一緒に行きたいと車を出してくれました。三人で掃除してお参りできて母も、母の生家も喜んでくれたはず。
その後は11歳まで住んでいた街を訪ねました。途中駅でおろしてもらってバスを降りて家までの道を歩きます。うっそうとした竹林は切り開かれ洒落た洋館が建っていたかと思えば、全く変わらない畑もあって、迷わず目的地にたどり着けました。子どもの足でとてつもなく遠かった道や傾斜の急だった坂道は、今の足ではごく普通の距離となだらかな道に感じられました。
 
母がずっとお世話になっていた美容室が昔の面影のまま営業中の札を立てていて、挨拶しようか迷って一度は通り過ぎて小学校のあたりを散策しました。昔遊んだ友人の家も何軒かみつかり、懐かしい思いで秋晴れの暖かな空の下を歩きました。住んだ家があった場所には今は2軒の家が建ち並び、前の畑にも家が建ちました。
思い切って美容室のドアを開けたら中もほぼ昔のままで、出てきたマダムの笑顔も変わらなくてびっくり。
引っ越してから親戚に家を貸していたこともあり、何度か挨拶には顔を出していましたが、最後に会ったのは20年以上前です。急に立ち寄ったのに温かく迎えてくださり、お昼にできたてカレーをごちそうになりました。
さらに目を見張ったのは引っ越し時に母が置き土産とした飾り物が棚の上や戸棚の中にあったこと!見る度に元気かなと思っていて下さったと聞いてじんと来ました。
息子さん二人は独立して家庭を持ち、「二人だけだから又いつでも寄ってね」と何度もおっしゃって下さいました。
そのすぐ向かいは昔よく遊んだMくんとTちゃん姉弟のおうちです。同級生のMくんとも20年ほど前に一度会って懐かしい話をしました。その彼は8年前に心臓の病気で亡くなったそうです。ああ。。。お子さんが3人もいて早くして旅経たねばならなかったとは。
彼のお父さんには会えました。明るく「Mは死んだよ」と言われてその笑顔が出せるまでどういう思いがあったかを考えると。。。おじさんはとても80歳とは思えぬ若々しさで、自分も小学生に戻ったかのようでした。

美容室のおじさんおばさん、Mくんのおとうさんも母のことをよく覚えていてくださいました。Mくんのお庭の芝はうちから移植したそうで「こんなに増えたんだよ、みんなAちゃん家の庭からもらったのが増えたんだよ」と。ここでも見る度に私たち家族を思い出してくれていたと聞いて、母はなんて多くの人に思い出してもらえる生き方をしてきたのかと涙がこぼれました。その恩恵を被っている私は幸せです。
駅まで送って下さるというおじさんにお礼を述べて、また歩き出しました。三年生まで通った小学校は人数が増えすぎて新しい学校に途中移ったので私は合計3つの小学校に通いました。
その一つと幼稚園もあるかなといってみれば、二つともありました!幼稚園はかなり新しくなっていたけれど旧舎は面影を残しています。ここへの道のりも子どもの時はものすごく遠く感じたけれど今はあっという間。不思議ですね。
帰りはその頃は通っていなかった市営地下鉄線で駅まで移動して、センチメンタルジャーニー終了。

もう二つ大きなタスクが残っていました。母が私が大学を卒業してから継続してサポートしてきた慈善団体二つに母の遺志に沿って寄付をしました。交通遺児、自死遺児をささえるところと世界の子ども達をサポートする団体です。世界中の子どもを気にかけていた母の実の子であれた自分はどれだけ感謝すれば充分なのでしょうか。

これまで私は自分は想像力がある方だと思っていました。でも母がいなくなった後の世界は想像できていませんでした。いつかは来るとわかっていた別れの日はまだまだ先だと思っていて十分な感謝の気持ちを伝えられなかったことが悔やまれてなりません。


用事を終えてほっと一息。友人に電話したら都合よく会えて誕生日を一緒に祝ってくれました。今月終わりにはその友人のご実家方面に一緒に旅行に行く予定です。彼女のご両親はまだまだ健在だけど、今の私は近い友人には元気なうちに聞けること、できることをやっておいた方がいいよ、後で笑い話にすればいいのだからと伝えています。今私が死んだらどこに何があるかダニーだってわからない。そんな状況を見直すためにも絶対やってくるその時に慌てないように、自分も身辺整理を始めています。

母のモノを片付けに帰ってきたのに、今の私は自分の昔の写真を整理して、数年前母がやっていたように友人達に希望があればその写真を送り返すことも始めました。

生きているうちにもっともっと母から学びたかった。けれど考えてみれば亡き後も沢山の学びをリアルタイムで示唆してくれている母の存在は私の中で益々大きくなっています。
当日の歩行数は今までの記録更新です。

2014年10月29日水曜日

2014秋 東京 あなたがいたから

10月も終わりなのに暖かい晴れ日が続いています。朝は氏神様へお参りしてからいつもの浜辺に。朝陽って気持ちいいですね。



お土産のキャンディ詰めを終えて、午後は友人のFBポストでまだやっていることを知って、観劇にいってきました。

「あなたがいたから私がいた」このタイトルを聞いてそれなりのストーリーが頭によぎらない人はいないでしょう。うまいなあ。敢えて感想は書きませんが行ってよかったです。

そして急いで友人が待つ地元のお店へ。


プレ誕生日祝いで忙しい中集まってくれました。
美味しくて、楽しくて。母の話題も沢山でて。この写真、昔あった角度を変えると違う絵が浮き出すシールみたいじゃない?なんて大笑いしたり。

片付けはできてないんだけど友とのこういう時間がないと今のわたしは前に進めません。ありがとう。

2014年10月27日月曜日

2014秋 東京 Day 1-5

木曜日深夜着。数えれば今日で5日目。はやいなあ。。。
母がいない日本に戻るのは初めてで、自分がどう感じるか予想できませんでした。強い悲しみというより言い表せない違和感、ずれを感じています。実家は母がいた場所、それ以上でもそれ以下でもなかった。だからそうでなくなった今ここにいること自体に疑問を感じます。
金、土と忙しく用事をこなしていました。自転車も借りることができて移動が格段に楽になりました!タイヤの空気もいろいろな場所に設置してある空気入れを使えばすぐ。便利ですねえ、ほんとに。駐輪場もたいていの場所は2時間ほど無料で使えます。
金曜日は嬉しいサプライズがありました。心の妹さとちゃんが都内に出る用事のついでに遊びに来てくれました。
誕生日プレゼントに「幸せを運ぶラッキーカラー」リップスティック をもらいました。名入れは日本のみのサービスだそう。いつまでも輝くおねえちゃんでいてね!と☆マークいりです。がんばるよ〜
秋のスペシャル弁当も!仕事で忙しいから会えないかもしれないと思っていたからうれしさ満載です。相変わらず明るくて元気な我が妹よ、留学の夢早くかなうといいね。

土曜日は久しぶりに浜辺の公園で朝陽を浴びて、氏神さまにお参りして。一日押し入れの整理。母のというより私のモノの整理です。
雑誌から切り抜いたレシピ類、昔の写真、手芸用品、その他諸々の思い出の品々。捨てたモノもあれば一旦アメリカに送るモノもあります。
 
最近手を動かすことがしたくてたまりません。昔から手芸は大好きでこんなフェルト人形も作っていました。その型紙とか出てきて懐かしい!
この小物入れはアクセサリー入れに便利です。テレカ全盛時代に流行った手芸。あの小さなカードの弾力が丁度いい具合にばねになって口が閉まります。無心に手を動かしているとゾーンに入れる。編み物も大好きでした。今興味があるのは実は消しゴムはんこ。少し落ち着いたらやってみたいな。

日曜はまったくやる気なし。ただひたすら眠りをむさぼり、月曜はまた馬車馬のごとく自転車であちこちを片付けました。と何の脈絡もない日記ですがこのままポストしちゃいます。そうしないと今東京に自分がいることさへ実感できないから。