今日の主治医との面談で、ダニーの Complete Response を確認できました!日本語では完全奏攻っていうらしい。完全寛解とも同じ意味なのかな。治癒ではないらしいけれど、治療の結果、がんの兆候がすべてなくな里ました。手術なしで経過観察に移ることができて、目的である臓器温存を達成することができました!
何度か危険なタイミングもありましたが、本人よく踏ん張りました。
先週末は、長年お付き合いのある友人の誕生日パーティでサンフランシスコへ。
強い風に流される分厚い雨雲は、時に前が見えなくなるほどの激しい雨を降らせていました。降ったり止んだりで、車中からも虹の断片が見えていました。
滞在先に着いたら、見事な虹!
Coit Tower の麓から綺麗に伸びる大きな虹に、心ウキウキ。夜のパーティも盛り上がって、ダニーも一年ぶりに楽しい夜を過ごしていました。
忘れないうちに、闘病者の家族としての気持ちを書いておこうと思います。
まず病気が分かった直後は、当然ながら不安で心が満たされます。命に関わるかもしれない病気に家族が罹ったのだから、不安になるのは当たり前。そして情報不足の中、長い治療が始まることも不安でした。でも考えてみれば未来に何が起こるかわからないのは、病気でなくても同じこと。知らないから不安であれば、情報を仕入れるなど、行動を起こそう!と気分を切り替えることができました。
辛い思いをしている家族に何をしてあげればいいかわからない。できれば代わってあげたい。こんな考えも頭に浮かんできます。自分が辛い方が楽だと思ったことさへあります。でもそんなことはできっこないのだし、一度治療法が決まれば、それに沿ってベストを尽くすだけ。それ以外のことで心労を増やして体力気力を消耗していた自分に、そんな時だからこそ、自分の時間を尊重すること、好きなことをやって罪悪感を感じる必要はないと伝えてあげたい。
湧き上がってくる怒りとの戦いも大変でした。どうしてもやりたかったこと、行きたかった場所、会いたかった人たち。待ち望んでいたイベント予定日が近づくにつれて、思い通りにならない悔しさは募りました。解体作業を任せてくれたら、どんなものでもすぐに破壊してあげる!なんて思ってた。冷静な自分と感情的な自分を静観している自分。三人の自分がそれぞれの言い分で1日を過ごしていて、最後は「まあこんなものだろう」と疲れ果てて終わる。そんな日々もありました。変に抑え込まないで適度にストレス発散してやり過ごしたのはよかったと思います。地下室で大声で歌ってみたり、ビールの空き缶を踏み潰したり、キッチンでひたすら料理をしたり、黙々と山を歩いたり。次に大切な予定が全部ダメになっても同じような消耗の仕方はしません。怒ってる時間がもったいないから。
自分に何ができるのか考えて、やれることはやる。これは別に闘病者の家族だからではなく、生きてる間これができれば、後悔とはある程度無縁でいられるのではないかと思いました。食べることも水を飲むことさへも苦しい人に、何を、少しでも美味しく、栄養も摂りながら食べてもらえるか。考えて工夫していくことはやりがいがありました。準備しても食べられない時もあります。一緒に辛い顔をしても仕方ないし、なら、これはどうだ!と挑戦意欲に切り替えることを覚えました。
人間の脳は、都合の悪いことは忘れるようにできているのかもしれませんね。辛かった日があったのは覚えているけれど、詳細は霧の中です。もう終わったことだし、それを乗り越えた自分達がいるから。あの時苦しんだのも自分、今晴れ晴れとしているのも自分。
一つ忘れないでいたいのは、自分ができること以上のことはできないということ。当たり前すぎることでも、渦中にいると、これが無理ならこっちで帳尻を合わせられるかも?といつも考えていたようです。例えば自分に厳しくすることで、いい運が彼に流れていってくれるような気がして禁欲的になるとか。彼の発病が自分のせいとは感じなかったけれど、同居者としてもっと早く気がつけなかったのか、もっとできることはなかったのかと自問自答もしていました。努力で変えられることとそうでないこと。それを見極めることができていなかったのかも。
辛い時こそ自分の味方になるべし。これは今回のことで痛感しました。
そしてたくさんの人たちのサポートに素直に感謝して、お願いできる心の余裕を持つこと。これも大切です。どうしても申し訳なさが先に立ってしまっていました。人と接するのが億劫になり、それでもいいと思っていた。そんな時でも近しい友人たちは何度となくヘルプを申し出てくれて、心から私たちを心配して助けてくれた。そのありがたさに支えられて今日があります。
明日は白紙。だからこれからも「いまここ」スピリットを忘れずに、人に優しく自分に優しく心安らかに過ごしていきたいものです。