「〜界隈」という表現。
昨日、友人から「この記事に書いてあること、本当だと思う?」と、ネット記事が送られてきました。内容は、海外から見た「日本の長寿の秘訣と健康習慣」を取り上げたもの。そこには、私たちが普段当たり前に、あるいはちょっと意識して実践しているような日々の丁寧なライフスタイルや習慣が紹介されていました。
最初に紹介されていたのは Hara Hachi Bu。続いて Asa ichi, Drink green tea (sencha), Asagohan とつづき、え?と思ったのが Tabi socks. Zazen もあったけど、習慣にしている人なんてごくわずかでしょう。Moving the body では作務のことを言いたいのか「毎日何かを動かすために体を動かす。掃いたり、歩いたり、庭づくりしたり、踊ったり」とまあなんともアバウト。続いて紹介されていた Geijyutsu o suru は、ただ目的もなく芸術をしてストレスホルモンを下げる習慣。味噌を食べる、庭づくり、布団に寝る、お風呂に入る、そして Ikigai で締めくくられていました。
記事を読んで、友人が「本当にみんなこんな風にしてるの?」と思うのもごもっとも。 私が友人に返したメッセージは、こんな内容でした。
記事はちょっと日本をロマンチックに描きすぎているかも!現代の日本は決して『静かでスロー』なわけじゃなく、むしろ健康や自己啓発へのものすごい熱量で動いている国。
マスコミで体にいいと紹介されれば翌日にはスーパーの棚からその食材が消え、朝活で勉強会。みんな『腹八分目』が体にいいと知りつつも、大食い番組は大人気。みんな貪欲に健康法を実践しようとしていて、次々と新しいブームが生まれてる。記事にある『生きがい』も、単なる『朝起きる理由』なんて単純なものじゃなく、もっと人生の深い目的を意味する言葉だと思う。日々目的もなくアートを実践したり坐禅を組む習慣がある人は限られていると思う。
お風呂の習慣だってそう。日本人のお風呂好きは総じて本当だと思うけど、今のZ世代の間では、毎日のルーティンやお風呂に入ることすら面倒くさがってスキップする『風呂キャンセル界隈』なんて言葉がトレンドになるくらい。
伝統的で完璧なライフスタイル習慣を実践している人は限りなく少ないと思うけれど、この『健康でいたい』『人生に深い意味を見出したい』という集団的なエネルギーの強さが、日本の長寿の背景にあるんじゃないかな。
友人に説明しながら「〇〇界隈」という言葉のカルチャーは、現代の私たちの感覚にすっかり根付いているな、と昨日改めて実感したばかりだったのですが、今朝、また新しい言葉に出会いました。それが「日記界隈」です。
「日記界隈」とは、SNSなどで自分の何気ない日常や、日々のちょっとした思考、感情の揺らぎを静かに綴って公開している人たちの、緩やかな繋がりを指す言葉だそうです。おしゃれなライフスタイルでもなければ、バズを狙うための強い言葉でもない。ただ、「今日もこんなことがあった」「こんな風に感じた」という等身大のリアルな日常を、自分の言葉で書き留めている人たち。手書きでイラストを添えたり、一年書き終えると、一冊の本として完成する日記帳も人気だとか。
でも、考えてみれば、日記なんてそれこそ平安時代からあったものです。
紀貫之が「男もすなる日記といふものを…」と書き出し、紫式部や清少納言が日々の人間関係や心の機微を綴っていたあの時代から、日本人はずーっと日記を書いてきました。千年も前から当たり前に続いてきたこの個人の営みに、「界隈」がついて、ポップな生態系みたいに扱われているのが、なんだか面白いなと思ったのです。
もし紫式部が現代にタイムスリップしてSNSを見たら、「あら、私たちって『日記界隈』の先駆けだったのね」なんて笑うかもしれません。
形は変われど、やっていることは平安の昔から何も変わっていないんですよね。完璧な健康習慣からは程遠く、時にお風呂すらキャンセルしたくなるような泥臭い毎日をも、言葉にして残しておきたくなる。美しく整えられた記録ではなく、不完全な毎日をありのまま肯定する温かさが、この「日記界隈」という言葉にはある気がします。
この言葉について考えているうちに、ふと面白いことに気がつきました。 「界隈」って、何にでもつくわけじゃないな、と。
たとえば、毎日家でごはんを作る人が集まっても、「自炊界隈」とは呼びませんよね。「自炊民」や「自炊アカ」という言い方はあるらしいけれど「界隈」では、なんだか違和感があります。
では、どんなものや行動なら「〜界隈」としてしっくりくるのか?ネットの世界を観察してみたら、そこにはいくつかの条件があるように見えました。
ちょっとした「後ろめたさ」や「マニアックさ」があること(自虐・生態系パターン) 自炊のように世間的に「良いこと」とされる標準的な行動には界隈はつきません。むしろ「夜更かし界隈」や、お風呂をサボる「風呂キャンセル界隈」のように、ちょっと人に言うのは憚られる偏った生態を、ユーモアに変えて身を守るために使われています。
ネット上の「特定のニッチな空間」にわざわざ集まっていること(空間パターン) 元々「地域・場所」を意味する言葉だった名残で、日常の生活そのものというよりは、ネットの特定のエリアに見せ合いに行くような活動(「朝活界隈」や、まさに今回の「日記界隈」など)に当てはまります。
公式な組織がない、絶妙に「マイナーな趣味」であること(クラスタパターン) 大きなファンクラブや組織があるわけではないけれど、ネットの有志で熱く語り合っているニッチなジャンル(「純喫茶界隈」など)のフワッとした集まりを表現するのに、このゆるい言葉が便利みたいです。
実は私自身、小学校5年生の頃からほぼ途切れず、ずっと手書きの日記を書いています。
元々は、この「ブログ」という場所だって、Web上の記録(Log)として、日々の何気ない日常を書き留めるためのものだったはず。それがいつしか、役立つ情報のまとめやビジネスツールへと進化し、規模が大きくなりすぎて「ブログ界隈」なんて言葉ではくくれなくなっていきました。
だからこそ、情報が溢れかえるデジタル社会の今、あえて千年前の大先輩たちと同じように手書きの温もりを愛する人たちが、新しく「日記界隈」という居心地のいい広場を作ったのかもしれません。
このブログはデジタルだけれど、やっていることはその精神と同じ。 誰のためでもない、自分のカオスな日常を、今日もここに書き留めておきます。