2014年8月17日日曜日

納骨を終えて

納骨から一週間。当日は南からの台風が関東を過ぎていく途中で、雨が降ったり止んだりの天気でした。家からダニーと母と私はタクシーで移動、晴れていたら行楽客で混んだであろう海へ続く高速道路もがらがらでした。
霊園に到着し、タクシーに待ってもらってお墓を掃除してお花を生けました。その後事務所で納骨の手続き。余裕を持って出発したので皆が到着するまで一時間半ほど余裕があったのですが、その間強まる雨脚で外は真っ白。一時はどうしようと思いましたが、降ったり止んだりの間隔が広がり、30分前にはすっかりあがり空も明るさを増していました。
母の実家と隣同士なのでお墓に赴けば両方のご先祖にお参りできることは嬉しいです。
あいにくの天気が幸いして、いつものお盆前とは思えないほど空いていました。四十九日より早い納骨となってしまって一時は迷いましたが、滞りなく終わり最善の運びでした。

行きにタクシー不足で従兄弟が遅れそうになったのが、帰りは分乗する台数がそろってすぐに呼べたこと、帰りの駅に最後の車が着いたとたん土砂降りの雨が降ってきたことなど、母が我々を守ってくれたとしか思えない事象が数々ありました。人に迷惑をかけることを何より心配した母らしいです。

精進落としは母が何度か足を運んだ和食レストランにしました。海鮮料理を囲み楽しく賑やかに午後の一時を過ごしました。窓から見える木々の揺れからかなり風が強いのは想像できました。
ビル風もあってか外に出るとそれを実感しましたが、雨は降っていなかったのでよし。これで雨ならどんな傘でも役に立たないし。

この日を一つの大きな節目としてやってきました。二日間九州を訪れ、ダニーを見送り、七七 (ななのか )日は明後日。こうして毎日過ぎていき、今私はどこにいるんだろう。母と一緒に過ごしていたときはいまここにいたと自信を持って言えたけれど。蝉の声も控えめな日曜の朝、このぼんやり感は暑さのせいではない事だけはたしかです。

2014年8月16日土曜日

やっぱ親子

終戦記念日に日本にいるということは、普段考えない事に思いを巡らせることになります。テレビでは8月15日が何の日だか知らない、日本が戦った相手がどこだか知らない、日本の味方として戦った国は?という質問に「アメリカ」と答えている若者たち(20代)の姿が映されていました。

仏壇近辺を整理していたら、父の入院から葬儀前後のもろもろを見つけました。当時は兄姉たちも現役だったので弔問客も数百人を越えた大きな葬儀でした。アルバム、弔辞弔電の束、そのあとに受け取った手紙などなど。私も母の関係書類をファイルしてましたが、全く同じように整理されていて笑ってしまいました。特におかしかったのが病院の食事メニュー。私の方がよりスペースを多く使ってましたが、19年間、病院メニューのプリント様式はほぼ同じ。左が父の、右が母のです。
父は航空参謀として終戦を迎えました。本棚には当時を振り返る書籍や当時の写真のアルバムなどがまだあります。活字になってしまった物はどこかピンと来ず、もっと生の声を聞いておけばよかったと悔やまれます。
それにしても昔の人は達筆でしたね。毛筆の流れるような手紙ばかり。私もお礼状を書いているうちに、ヘタなりに格好がついてくるようになりました。縦書きって新鮮です。

ダニーが帰ってリズムが緩んで落ち着きません。ま、仕方ない。落ち込んでいるとか鬱になっているとかではなく、ただそこはかとなく落ち着かないだけ。お腹が空いているのにまた食べたい物がなくなってしまった。人生で楽しめる食事の数は有限と常々思っている身としてはもったいないことです。

今日も暑かったけどエアコンなしで過ごしました。夕方になり、さっぱりしたくて洗面台に前屈みになって髪を洗っていたら、ふとやなせたかし氏の詩を思い出しました。絶望のとなりに誰かがそっと腰かけた 絶望はとなりの人に聞いた あなたは一体誰ですか となりの人は微笑んだ 私の名前は希望です

この詩には小学校6年生の時に絵本で出会い暗記していました(だから文字使いは違うかも?)。絶望なんて言葉面しか知らなくても、うつむき頭を抱える青い影(たしかそんな絵)に静かで深い悲しさを感じたのを覚えています。そして希望という正反対の状態が背中合わせにある、というかお互いがあるからお互いが存在しえる不思議さを感じました。本はイギリスにも一緒に来て今もアメリカの家にあるはず。

いまなぜ思い出したのだろう。シンクで洗髪=病室に泊まり込んでいた日々=夕方の悲しさ=青い深い淋しさ=この詩。こんな感じかもしれないな。すてきな詩です。

2014年8月13日水曜日

あ〜あ、帰っちゃった

昨日ダニーが帰りました。今回はマイルでファーストクラスチケットを取り、帰りはダラス経由。出発して12時間以上経った今も乗り継ぎ待ち、ご苦労さま。ディナーはかなりおいしかったらしく、テキストで写真が送られてきました。

ダニーが来て、納骨して、翌日から一泊九州へ。この大きな節目が終わりました。あとは地道にやるべき事をやるだけ。それが一番難しいし憂鬱だし。正直頭を抱えています。

昨日は朝から気持ちが落ち込んでしまいました。彼を見送った後、力をもらおうと巣鴨に赤パンツまで買いに行った私(笑)。改めてレポートしますが赤パンツのパワーを実感しました。
父の生家を訪ねた一泊二日の旅も充実していました。この旅行記も後ほどアップします。
彼の滞在中を通して暑さも落ち着き、台風の影響も受けず無事過ごすことができました。帰国を待っていたかのように蒸し暑さが戻ってきて午後は☂予報。これもダニーが暑さに耐えられるかずっと心配していた母のお陰だと思っています。

2014年8月7日木曜日

ダニー到着

南から近づいている台風のせいか、この数日かなり風が強いです。そのお陰で暑いのだけれどなんとかしのげてるこのごろ。暦の上では立秋ですからね。

ダニーは今日無事に成田に着き、近くの駅まで自力でやってきました。出る前に脅かしておいたのと風通しの良さで、額に汗を浮かべながらも思ったより過ごしやすいと言っていたのでよかった。心頭滅却すれば火もまた涼しさと昔の人も言いましたからね(ちょっと違う?)心の持ち様も大切です。
着替えて夕暮れの町に出ました。ほぼ3年ぶりの懐かしい道々。母と三人でもよく歩いたあたりは夕餉の香りに満ちていてせつない。でも嬉しい。
まずはフローズントップビールで乾杯。なにげに頼んだ北海道フェアメニューからの二品が美味しくて笑みが漏れます。
花咲蟹の冷製カッペリーニはさっぱり目のペストがかにの風味とのバランスを保っていていい。
帆立のカルパッチョは塩昆布の細切りがちりばめてあってラディッシュの歯ごたえとほのかな苦みが帆立の甘みを引き立てていました。満足の一品!ラガービールはこの帆立料理には全く合いません。反面スタウトはすごくいいペアリングでした。

帰り道、炉端焼きの店で第二タパス開始。タパスというには大きすぎるホッケまで頼んじゃった。この店も3年前のお正月明けに母と叔父と四人で来た場所でした。

なんだかなあ。ダニーが来てくれたお陰で、空間がいい意味で歪んだというか。ふと母の声が聞こえてきました。「あなた、私が生きてた頃は出歩いてばっかりだったのに、今、家にこもってどうするの?」と。ひとりご飯もしていたけれど、お腹は一杯になったようで実は満足していなかった。今日、帰国後さんざん通った道が全く違って見えました。今まで目にも入らなかったお店や看板がどんどん目に飛び込んできたのにもびっくり。そういう時期に来たのかなんなのか、深く考えずに夜の町を歩きました。

2014年8月6日水曜日

思い出の数々

母と私の性格は一見正反対です。本質的にもそうだとかなり長い間そう思っていました。でも似ている所がたくさんあると気付くことが多くなりました。

以前、溜め込む人について書きました。母は整理整頓上手でしたが、何でもとっておくのも好きでした。すごいのはとってあった物を見つけて活用していたこと。そして人生89年も生きればそれなりの数の品々はあるわけです。でも母は溜め込む人ではありませんでした。私は空いているスペースがあればどんどん埋めてしまうのですが、母はタンスでも棚でもちゃんと物の通り道を確保できていて、これはぜひ見習いたいです。

昨日はものすごく暑くて、な〜にもできずに一日終わりました。お陰で少し余力が溜まったのか今日は片付けモードがちょっと上昇。それでも焼け石に水くらいなのですが、やらないよりはまし。その内に母が整理していた写真の箱に手が伸びました。ここ数年私が居る時にも写真等の整理はしていました。一昨年は旅行先で集めたマッチの空き箱の紙を剥がしてもらってきました。そんなの何にするかって?結構デザインがレトロで素敵なんです。小さいし、まとめてフレームに入れたらいいだろうなと思って。でもまだそれは封筒に入ったままカリフォルニアの机の引き出しです。
 ガイドブックやパンフレットのほんの一部です
その時にかなりの地図、ガイドブックや絵はがきがあったのを記憶しています。その箱をあらためてみたら、色とりどりのお弁当の包み紙がでてきました。みんな半世紀以上前の物ばかり!



個性的なデザインですよね。値段も50円から150円。昭和35年、サンドウィッチは70円也。
同じ時代だと思いますが新聞購読代だって一ヶ月470円。物価は55年で約10倍か。
最近買ったスキャナープリンターが大活躍です。これからも時間を見つけて写真やパンフレットなどスキャンしようと思います。小型で一万円台で手に入るなんて便利になりました。

メイドジャパン、特許のある写真コーナー。製造年月日は書いてなかったけれどしっかり粘着力はあり、これでチケット類の小物の整理もできました。
全日空の路線図。本当はもっと原色に近くて何ともいい風合いなんです、この日本地図。
 写真ではよく見えないけど、路線もすかすか
マーケティングかI社の車の葉書もついてきました。発行年月日がないのですが50年以上前なのは確実。その当時でデラックスモデル998,000円。他の物価上昇率からするとかなり割高感ありますね。
山歩きが大好きだった母(ここもそっくり)は、等高線が読める山岳地図も用意してコースをマークしていました。

リフト券やチケットを貼付けてみたりとか

好きな事に対してのマメさだけは私もしっかり受け継いだようです。

この懲り様 (?)はやっぱ載せよ

何のことかといえば一昨日行った旧汚水処分場の記念碑。遠くから見ると普通の石碑です。
形はこの処分場の管轄区域(荒川、台東区の全部、文京、豊島区の大部分、千代田、新宿北区の一部)をかたどっています。近づいてみると。。。
右下カーブのところ、よく見ると少し削られて違う石目が見えています。これはこの処分場の位置と面積197万平方メートルを表しています。
ちなみに敷地内の官舎は当時から珍しい水洗トイレだったそうです。当時赤ちゃんだった母の弟が物心着いてから引っ越した家はくみ取り式で、弟がトイレが怖くて泣いて困ったそう。確かにあの果てしない暗黒は子どもには怖いですよね。私も記憶あるなあ。昭和初期に水洗って斬新。処分場に一番近いトイレだったことは間違いなく、たとえ詰まってもすぐ対応できたんでしょうね。

2014年8月5日火曜日

いくら先取りといえども

今日も暑い。午後3時現在、室内温度32℃、湿度60%。幸い風が通るので今日はクーラーなしでがんばっています。
 
頂きもののいちじく。朝ご飯に食べたら美味しかった。他にブドウや桃と果物三昧。カロリーは十分すぎるほど取れているので、幸か不幸か体重は減りません。
仏間はお花を長持ちさせるために除湿かけっぱなし。たまにそちらに涼みに行き、また用事(コンピューターや書類の整理)のため今に戻るという感じ。何も考えずに昼寝したいんだけど、明後日からダニーがやってくるのでそれまでにもうひと片付けしておかねば。

食欲というか作る気力は相変わらずゼロですが、ここ二日ほど野菜たっぷりカレーを食べています。ご飯は発芽玄米に押し麦を混ぜたのがいい。
厚揚げと好きな野菜を焼いたり、ゆでたり、炒めておいて、レトルトカレーに乗っけるだけ。辛さを調節して食べています。食べるときもエネルギーを消費するんですね。汗が出る出る!
地元のユニクロはすでにダウンジャケットのラインナップが勢揃い。見向きするのは南半球に旅行に行く人くらいでしょ、と思っていたらお隣さんは週末から南アフリカに旅行だそうです。どのくらい寒いのかな?と調べてみたらケープタウンで14℃。ジャケットは必要ない丁度よい涼しさみたい。この暑さから逃れられるなんていとうらやまし。ファッションに気温が追いつくのはまだまだ先のようです。