2026年5月10日日曜日

アンテナの感度、あるいは「余白」という自衛

今日もいい天気です。遠方の友人がブランチに来てくれました。今日はシャクシュカ(野菜たっぷりのアロマティックなトマトソースに卵を落とし込んで焼いた料理)とアルグラ、フェタ、ビーツに初物のスイカを添えたサラダ、コーヒーで楽しくおしゃべり。


近頃、どうも体が重いと感じていました。 睡眠も食事も、生活のリズムは日本にいた時よりもずっと整っているはずなのに、ふとした瞬間に言いようのない消耗感が顔を出すのです。

昨日、時間をかけて、自分の感情を徹底的に棚卸ししてみました。 そこで見えてきたのは、知らず知らずのうちに、自分ではコントロールできない大きなうねりの中に、どっぷりと浸かっていたという事実。

それは、日本で向き合ってきた複雑で今も続いている手続きかもしれないし、不安定な世界情勢や、暮らしをじわじわと圧迫する物価高のような社会の空気感、もしくは、平行線が続く出口のないやりとりかもしれません。

理由が何であれ、私は自分でも気づかないうちに、正解のない問いを抱え込み、必死に混ぜ続けていたようです。

誠実に向き合おうとすればするほど、私の気力は漏電していました。 長時間自分と向き合ってたどり着いたのは、抱え続けることをやめることこそが、今の私に課された、自分に対する義務だということです。

いったん手を離すことを「選ぶ」。 逃げや諦めではなく、何が理由であるかを探すことよりも、自分の漏電に気づいた今は、それは必要な自衛なのだと。

そんな折、また図書館からのメールに添えられていた言葉が染み入りました。

“Perhaps the secret of living well is not in having all the answers, but in pursuing unanswerable questions in good company.”  

(よく生きる秘訣は、すべての答えを持っていることではなく、答えのない問いを、良き仲間と共に追い求めることにある) – Rachel Naomi Remen

泥沼をさらっても、次々と崩れてくる淵。さらい続けるのは一旦やめます。底のないバケツで、水をかき出したって仕方ない。完璧な「答え」にたどり着く必要はない。


金曜日、久しぶりに訪ねた友人のアトリエには、室内なのに心地よい風を感じました。アイデアを模索中の作業台、壁にかかった新しい作品。そこかしこから、息吹きというか、躍動感が溢れ出ているように感じました。海外遠征から戻って 「この夏は、旅をせず、得たものを昇華していきたい」 そう語る彼女の、インプットとアウトプットを繰り返しながら、次のステージに進む瑞々しい姿勢。



その日集まった6人は、それぞれ、陶芸、写真、テキスタイルデザイン、執筆活動など、今自分が取り組んでいるプロジェクトを話していました。問題もあるけどね、とウィンクして笑う姿、あっぱれ!朝起きて行く気がしなかったけれど、彼女たちと1時間を過ごしただけで、体が軽くなった感覚に驚きました。

 

私は最近、知らず知らずのうちに、心に負担がかかるものばかりをインプットしていたのかもしれません。 こうして書くことで一度すべてを並べて、頭の中を整理する必要があった。自分で問題提起して、勝手に納得して終わる。私のブログはいつもそうですが(笑)、今は、この静かなアウトプットこそが、健やかさを取り戻すための最良のプロセスなのだと納得しました。

今日、自分にリマインドしたいのは、「必要なメッセージは、いつでも近くにある」ということ。 アンテナの感度を上げて、ノイズを排除すれば、メルマガの一節にも、友人とのおしゃべりにも、読み返す本の中にも、今の自分を支える言葉は必ず見つかります。

以前読んだ、ある喩えを思い出しました。「鍵を失くしたと思って一生懸命探したけれど、どこにも見つからない。でもふと気づけば、自分はすでに家の中にいた」

外側に答えや理由を求めることが、実は漏電の原因だった。変えようと試みたり、 探し回るのをやめたとき、自分は最初から、心の平安を持っていたと気づく。

そのサインに波動を合わせる心の「余白」を、もっと大切にしていこうと思います。

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