この投稿を公開したら一体いつの日付がつくのかわからないので、ここに今日は2024年3月16日土曜日ということを記します。そして以下はずっと下書きだったものに加筆したものです。
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お久しぶりです、というにはあまりにも長かったブランク。最後の下書きは、2020年のクリスマスに記し、コロナ真っ只中の年を振り返った備忘録でした。
今日は2023年9月1日。またぼちぼちと書いていきたいと思います。関東大震災から丸100年というニュースを聞きながら、いろいろなレベルで時の流れを感じています。
個人的には、昨年末から今年にかけて、いろいろありました。2年開けて、クリスマスはアイルランドに帰省して、久しぶりに家族との再会を祝いました。大晦日に戻る予定が、2日前に二人ともコロナ初感染となり、年明け10日まで隔離状態。二人とも熱は出ず、症状は咳と鼻水、そして私だけ嗅覚と味覚が無くなりました。これだけは避けたい、、と思っていた症状にかなり凹みました。2か月ほど倦怠感も残り、このままだったらどうしよう、、、と暗澹たる気持ちになったことを覚えています。
やっと体調が戻った3月。ダニーにガンが見つかりました。コロナ感染中にお腹の具合が悪く血便もあり、ちょうどキャンセルが出てすぐに内視鏡検査を受けることができました。本人も局所麻酔で内視鏡が映し出す画面で他のポリープと明らかに違う形相の腫瘍を見て、その場で覚悟したそうです。2日後に悪性との結果が出ました。
4月は腫瘍の正確な位置を特定して、治療方法を決めるために費やされました。血液検査、CT, PET, MRI の結果、腫瘍は大腸でなく、上部直腸でした。腸腺がんのステージは、腸壁のどの深さまで広がっているか(浸潤度)や転移の有無などで判断されます。幸い転移しやすいと言われる脳、肺、肝臓やリンパ節に転移はありませんでした。ただ腫瘍が骨盤に近く、手術で取りきれない可能性もあるため、臨床試験で臓器温存の可能性が高い治療法 OPRA(Organ Preservation in Rectal Adenocarcinoma)をとることになりました。
この治療計画では、5.5週間の化学放射線療法(化学療法と放射線療法の併用)、4週間の回復期間、そして18週間(3週間 × 6クール)のより強力な化学療法が行われます。この計画の利点は、53%の患者が手術を回避し、経過観察に入る実例が認められていることです。手術が必要な場合でも術前の治療で外科手術の成功確率は上がります。まだ体力もあるし、がんを除けば健康なダニーです。寛解する可能性は高く、それを信じて治療に入りました。
6月13日に5週間半の化学放射線療法を終了。平日朝7時からの照射に向けて、4時起きで薬を飲んだり、適量の水を飲んだり準備をします。副作用は、下痢、腹痛、吐き気、食欲不振、皮膚の火傷状態などです。放射線治療の最終回を終え、終了証明書を受け取ってすぐ、緊急治療室に直行。放射線誘発性大腸炎の診断で入院しました。24時間点滴をして、脱水症状の心配がなくなり安心でした。病院の面会時間に制限はなく、毎日8-10時間付き添うことができ、クロスワードをしたり、気分のいい時は動画を見たりして過ごしていたかな。数日と言われた入院が1週間になり、10日間で8kgも体重が減りましたが、家に帰れることを本人は喜んでいました。6月の記憶はただ疲れていたことだけです。
7月。今年の夏は楽しみにしていたイベントが目白押しでした。仕方のないことなのに、行き場のない怒りが込み上げたのを覚えています。留学時代の高校の同窓会、ずっと楽しみにしていた推しバンドの最後のコンサートツアー、ダニーの大学の特別ディナーイベント、大切な友人の結婚式。どれもこの夏に予定していたもの。コロナ明けで動けるようになったはずなのに、日々の生活は半径20kmに制限されている。色々なストレスが溜まって辛かった夏でした。
***以下は2024年3月16日に加筆***
8月。オキサリプラチン(点滴)とカペシタビン(錠剤)の化学療法を開始。点滴は病院でカーテンで仕切られたリクライニングできる椅子で行います。付き添いはできて、気を紛らわせるためにスマホでクロスワードをしたり一緒に過ごしました。抗がん剤点滴は2時間強ですが、事前投与の薬、看護師の確認、投与後のモニター時間など全部を入れると、病院にいる時間は時として6時間を超えました。看護師は二人組で、防護服とバイザーを身につけて薬のパウチを開けます。それだけ猛毒なんですね。その物々しさに初回は我々ビビりました。2回目の点滴後、トイレに行ったダニーをドアの外で待っていると、出てきた彼の顔が白くて「大丈夫?」と声をかけたら「なんか変な感じ、、、」と言い、そのまま喋り続けても何を言っているのか意味不明なのです。え、まさかの脳梗塞?と焦った私は急いで看護師を呼びました。彼も同じことを感じたようです。看護師は彼の手を上げさせたり、脳梗塞の症状確認のテストをしましたが、それらにはパス。暖かい毛布にぐるぐる巻きにされて様子を見つつ、医者からの連絡を待ちます。結局レアだが呂律が回らなくなる副作用があり、それが発症したようでした。症状が出て2時間ほどで消えましたが、最初は焦りました。月曜の点滴が終わると、翌日から朝晩服薬を始めます。2週間飲んで翌週はお休み。このリカバリー期間で体力を戻して、また点滴+2週間の服薬というのが1クールです。
2回目の治療でも同じ症状が出て、3回目の治療は血液検査の結果が思わしくなく延期になりました。その間は強い副作用に悩まされました。主な副作用は吐き気、腹痛、食欲不振。それでも薬は最低限の食事を摂らなくては飲めません。これがかなり辛かった。何が食べられるか色々工夫して毎日朝晩なんとか食べてもらいました。体重は私より軽くなり、そのうち水分さへも十分に摂れなくなってしまいました。
9月。第一月曜日はレイバーデイという休日です。その前日の日曜、水も飲めない症状をナースラインに相談し、救急に行くべきと言われ準備を始めました。かなり弱っていた彼は少し休んでから行くよ、と動こうとしません。そこをなだめながら車に抱えていきました。家では平熱だったのが、20分後に病院で測ったときはすでに40度を越していて、その後の血液検査では敗血症を起こしていたことがわかり、もう少し入院が遅れたら命に関わる状態だったと後でわかりました。そこからICU滞在1日を含め21日間入院しました。時に12時間病院に詰めることになった私も体力的に厳しかった。
入院とその後の精密検査を経て、彼には抗がん剤を無毒化する遺伝子が想定量の半分であることがわかり、それに応じて薬の量が減らされました。そのケースが多い人種であれば事前テストをしたけれど、彼はそれに当てはまらなかったのです。それまでの治療で副作用がひどかったのも体にかなり負担がかかっていたからだった=がん細胞をより強く攻撃した=意図せず効果が上がってる?と、気力が少し戻ってからは二人で前向きに考えられるようにもなりました。
減量した薬で予定通り治療を完了したのが、ちょうどクリスマスでした。1番のクリスマスプレゼントだね、特に願ったわけじゃないけど、と苦笑いしながらノンアルで乾杯したっけ。クリスマスディナーも用意しておいたけど、まだ食欲もなくクリスマスディナーは数日後に軽めに済ませました。クリスマスの翌日はアイルランドの家族とビデオコールでプレゼント交換。集えなかったのは私たちだけで寂しかったけれど、治療を乗り切ったダニーをみんなが笑顔で祝福してくれました。
2024年のお正月3が日はおせち三昧!このカラフルな写真は別途載せますね。
1月4日。CTスキャンを撮影。この時は気になる影は認められませんでした!しかし3月に予定されている詳しいMRI画像で最終的に手術が必要か否かが決まります。抗がん剤は飲み終わってもまだ作用しているので、時間をずらしての検査が必要とのことでした。
副作用もまだ続きます。お腹の不調に手足が痛む神経痛も加わり、緩和薬も飲みつつ、一生薬には頼れないからと医師の指導で薬を減らす努力もしていました。できることはなんでもやると治療に全力を尽くしたダニー。それまで待合室などで、治療を拒否する選択をした人と話して驚いていたけれど、終わってみて初めて、途中で(治療を)やめる人の気持ちがよくわかったそうです。
2月2日。喉の痛みと発熱で不調だったダニー。症状が出て2日後に念の為と自宅でテストをしたら、即座に二本線がくっきりと浮かび上がりました。遅れた家内隔離で私も共倒れになったらどうしよう?と超焦りましたが、無事ことなきを得ました。焦りの理由は、私は2月16日から3月10日まで日本行きを決めていたからです。ダニーの通院も終わり、去年キャンセルした航空券が無効になる前にと思い切って決めた矢先、まさかのダニーコロナ陽性!これが焦らずにいられましょうか笑 2月9日にやっと陰性となり、その後しばらくケホケホしつつも私が出発する頃には回復しました。さすがに私の留守中に再感染するということはないだろうと、絶妙のタイミングに安堵しました。調子がいい時にはオフィスに出かけていて、そこでもらってきてしまったようです。他者との接触は最低限だったのに罹ったということはまだ免疫が落ちているのでしょう。これからも注意が必要だと気が引き締まった出来事でした。
少し飛んで、3月13日水曜日。MRI撮影の日がやってきました。じつは12日の予定が一日延びて、その間ストレスmaxだったのですが、結果は良好でした。画像を見る限りでは腫瘍は消えていたのです。25日の主治医との面談まで決定ではないものの、手術はしなくてよさそうです。
そして今日、3月16日土曜日。長すぎる時差ぼけと戦いながら、やっとこの長〜い一年強を振り返ることにしました。何よりも日本での楽しかった3週間を忘れないうちに書き記し始めたいのでね。
とりあえず今日もいい1日を過ごせたことに感謝、今まであった様々なことにも感謝して、おやすみなさい〜
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