2015年6月27日土曜日

日本 - 2015 梅雨 Day 1&2

SF出発は午前1:45。空港への移動もすきすき、フライトは混んでいたようですが、ラウンジはしーんと静まりかえっていておせんべいを食べるのが戸惑われたくらいでした。

今回はマイルで Fクラスがとれたのですこぶる快適。フルフラットシートにマットレス (柔らかめか堅めか選べる)を敷いてくれて寝心地最高、5時間半爆睡でき、この2週間で一番長い睡眠でした。

到着前の朝ご飯、蒸し海鮮がおいしかった。お箸はほのかな香りがすてきで手触り、持った感じが使い捨てではもったいないくらいのものでした。CAさんにそう話したら2膳包んでくれました。というのも、今あるだけのものが終わったら、普通の割り箸になるとか。ダニーに見せたかったので、いただけるかお願いしよう思いつつ、2週間後又乗るしと思っていたところ、2週間後には切れているかもと聞いて感謝です。
27日午前4時20分、定刻より早く羽田に着きました。朝一の便なのかゲートまですぐ。
入国も税関もすぐ通過でき、5時には家に着きました。電車の始発は思ったより遅くて5時20分過ぎ。このスケジュールなら国内線の乗り換えが必要な人も羽田一泊せずに便利だろうなと思ったら、結構以前の午後10時半ころ着のスケジュールに戻してくれと言う希望もあるのだとか。羽田から近くてラッキーです。
おかげで初日はフルに活動できました。 Pエコノミーだったダニーは殆ど眠れず、荷解きとお風呂を終えて午前中は布団で爆睡してました。

WiFiにつなぐ機器も事前オーダーで届けてもらえる時代。便利です。
実家に戻ると郵便物の整理が待っています。前は母が適当に処分してくれていたものもあったけれど、4ヶ月も留守にするとかなりたまります。叔父が到着した日を封筒に書いてくれるので助かります。ここ1週間ほどで区の健康診断の案内が来ていました。11時間のフライト明けだけど、まだ咳も残ってるし肺を見てもらおうと近所のクリニックに行きました。そして心電図、レントゲンなど問題なし、血液検査は来週わかります。これが無料で1時間以内で終了。その後皮膚科、眼科とハシゴして午前中でチェックアップ終了。月曜日は再度眼科と歯医者も行ってきます。どうしても米国と比べずにはいられない。8年住んだ英国も国民保険はあるけれどこんなにスムースには診てもらえません。

午後は旅程を詰めたり、買い物を済ませたり、お供えの花や線香をそろえたり。事前の天気予報では一日雨だったのに、全くぬれずにすみました。
 
遅昼はダニーのリクエストで母と一緒に行ったこともあるラーメン屋さんで。割引中の青唐塩ラーメンが美味しかったらしく大満足でした。母は味噌ラーメンが好きでした。その後は100円ショップをハシゴ!福引きで500円の商品券が当たり!古びた駅そばのビルは、母と来た思い出が沢山あります。思い出すことが供養だというけれど本当にそうならいいな。
夕方一旦家に戻り、二階に上がれば部屋があかね色に染まっています。窓を開けたこんなきれいな夕焼け空。明日も晴れるかな?

夜は母と来たことがある炉端焼きやさんに行きました。大将、ほんとに変わらなくてびっくりです。ダニーもこれで4回目、帰りに「日本語上手ですね」と言われて照れてました。

お店で今日一日の活動量をチェックしたらこの通り。初日から飛ばしました。
一夜明けて日曜朝、快晴の青空。梅雨真っ直中とは思えません。
ダニーと氏神様に参拝して、さて、あと1時間で出発です。

2015年6月24日水曜日

ホントに明日飛行機乗るってか?

明日(正確には金曜)日本に発ちます。羽田便は時間が変わって深夜1:35発になってました。あれだけ注意を払ったの、金曜日に仕事をして、家に戻って、シャワー浴びて、ご飯食べて空港行けばいいのね〜とのんびり構えていたのが二日前。いや、違うでしょ!

とういことで、明日木曜に仕事してからでもフライトには間に合うけれど、全く手を付けていないアレンジを進めるために休暇を申請しました。

母を見送ってもうすぐ一年。墓参は祥月命日には少し早い6/28としました。葬儀に参列してくれた極限られた親族のみで執り行います。マイクロバスを手配したりお斎をアレンジしたりとなにかと忙しかったけれど、eメールやネットのお陰で助かります。家のインターネット回線は解約してしまったから、ホットスポット端末の契約やらなにやら。

そして今回のもう一つの目的はダニーと、非日常で二人で過ごす時間。通算8ヶ月もの間家を守ってくれた彼との旅行も計画します。

レイルパスで広島/宮島の旅を計画し始めたけれど、友人Yちゃんの実家、八戸にまたお邪魔することになり、そうなると母が泊まった十和田ホテルにも行ってみようかと。そうなると山陰から東北への移動はちょっとキツい。。。ってなわけで、急遽金沢に行くことにしました。すると職場の同僚が金沢出身で、彼女がとてもいいマップと観光案内のパンフレットを持ってきてくれました。こりゃもう、金沢に呼ばれてる?

未だ詰めることは沢山あるのですが、今日はもう寝ます。頭働かず。。。

2015年6月18日木曜日

今=プレゼント

日本語には言霊という言葉があり、本当にそうだなと頷くことしかり。

でも英語でいうところの、今=present=贈り物ってのもすごいですよね。

量子は観察されたときに存在する=注意を向けた時に物事は存在する、というのをある方のブログで読みました。物理は大の苦手だったし、うまく説明できないけれど、注意を向けなければ物事は存在しない、というか自分には響かないというのはよくわかります。知らない事を知ればこそ、新しい知識が入ってくるというような感じ。これはいつも自分で感じていました。私が好奇心が旺盛なのは、いかに自分が知らないかをある程度は知っているからだと。

料理を作ってももっと美味しくできることを知っている。だから次に作るときも新鮮に楽しいし、冒険や工夫ができる。

もっと書きたいことがたくさんあるのですが、睡眠不足で頭が回らん。でもいつも母のことを考えている(自然に注意が向く)うちは、母が側にいてくれる気がします。

2015年6月16日火曜日

2014年6月

母のことを考えない日はありません。そして今月は日本行きを控え、想いは去年へ遡る。

ノートを見たら去年の16日は月曜日。その前の週の土曜日から個室に移りました。16日夕方に主治医から呼ばれ、右肺が真っ白になったレントゲンが映る部屋で話を聞きました。根元にできた腫瘍が右肺に行く血管を全て塞いでしまったこと、それでも片方肺で元気な人も入る、左肺が機能をしていて酸素を送り出せている。一番怖いのは機能の弱った肺に血が送られ充分な酸素がつけられないと酸素の血中濃度が薄くなる。今はそれはない、今後は感染症に気をつけて、出血しているであろう右肺から左肺へ血が行かないようにする、右肺を下にしてなるべく左肺に負担がかからないようにすること。真っ白なレントゲンを見ながらも、最悪のつぶれ方は避けられている、とそんな言葉に希望を持ちました。

ステロイドの副作用で湿疹もできていたけれど、文句一つ言わず、その日はお昼にメンチカツ、夜は私が商店街で買ってきたコロッケも食べたね。その日のノートは結構整った字で細かく書いていました。ノートは見開き左側にやることリスト、右側が夜の睡眠、起床、バイタルサインの測定から食事、検査などを記していました。

その数日後だったか。院内で心電図の検査に違う病棟に私が車椅子を押して出かけました。外で待つように言われ待っていたら、ふと「あ、左を下にしていないといいけど」と思い立ち、母が一人でいるカーテンの向こうから声をかけてみたら、左側を下に寝かされていました。急いで向きを変えて、担当の技師に左は下にできないことを伝えられたときの安堵感。

このところ睡眠時間は平均4時間半。先週末は去年ミズーリで結婚した友人Rが遊びにきてくれました。彼女はこれから一週間の瞑想リトリートに向かいます。14キロのハイキング、久々の手料理、話題が尽きない弾む会話。ダニーを交えてとても楽しい週末でした。

私はかれこれ4週間しつこい咳が抜けずにいるのですが、ダニーは日曜日からひどい咳と鼻づまりが始まり、Rに伝染ることを恐れて日曜から自主隔離してました。先週会議で大勢人が集まる所に出かけていたから仕方ないけれど、わが家は咳で賑やか(苦笑)。

6月まるまる一ヶ月、苦しかったのにほんとうに母はがんばりました。最後の最後まで立派だった母を心から尊敬します。

2015年6月7日日曜日

無我夢中だったあの日々

去年の6月のことを思い出さずにはいられません。
今頃は母が個室に移る前だったので、毎日病室に通っていました。あの頃はまだ母も食事はできていました。口当たりのよいデザートやチョコレート、お見舞いにいただいた沢山の果物を喜んで食べられていたあの頃。

ここ数ヶ月、負のエネルギーに翻弄されています。イライラするともっとイライラする事がでてくる。これ本当ですね。こんなシチュエーション見た事ない、ってのが頻発して疲労困憊しています。日本行きの計画も立てなくてはいけない、来週末は長年の友が2泊3日で遊びにきてくれるのに、料理をする気力もゼロ。

負の連鎖を抜け出すのは自分の心次第。もんもんとしていた今日、ふと本棚を整理していたら母が好きだった星野富弘さんと相田みつをさんの共同展覧会のパンフレットがでてきました。2010年のチケットも買ったお土産のレシートも挟んであって。素朴な花々の絵と書とストレートに響く言葉に触れて少し心が軽くなりました。