2014年11月29日土曜日

2014 東北の旅 Day 1

三泊四日で青森は八戸を拠点に岩手、秋田にも行ってきました。以前から友人Yちゃんが里帰りの時に一緒に行こうと誘ってくれていて、今回の旅となりました。

東北は中学の旅行で福島は五色沼方面へ行ったり、仕事で仙台に行ったりで全く始めてではないけれど、自分の意志で赴くのは初めてかも。大学時代、北海道にソロツーリングで出かけました。その年は青函連絡船運行最後の年。深夜のバイトを終えて午前3時に首都高に乗り、674.2kmをひたすら走り青森に着いたのを覚えています。途中☂がひどくてトラックに追い越される度水浸しになったっけ。途中マフラー(排気管)の熱でサイドバッグが溶けかかり、慌てて空き缶をブーツで踏みつぶして簡易カバーを作って針金でくくりつけたり。一日目は函館の友人宅にお世話になり二日目からキャンプするはずが、昼過ぎにテントの支柱を家に忘れた事に気付き、野宿。数日後に泊まりにいくはずだった根室の友人宅まで宅急便で支柱を送ってもらいルート変更してキャンプツーリングを続行。今となればいい思い出だ〜。携帯電話もない頃、同じくソロツーリングに出ていたクラブ仲間とあちこちの岬やキャンプ場で落ち合ったりうまくできたもんだ。

と話はいきなり30年近くも遡ってしまいましたが、今回はオトナのプチ贅沢旅行。新幹線だってグリーン車なのだ〜。東京から八戸まで2時間50分をすっとばしても乗り心地はより快適! またトイレが広いのにびっくりしました。ちなみにグリーンの上のグランクラスという車両ではお酒も飲み放題だとか。Yちゃんは一度乗って+5000円の価値はそれほどないと思ったそう。確かにず〜っと飲み続けようと言うならまだしもねえ。しかし新幹線の車両もサービスも常に変化し続けていますね。

当日の朝、全国区のニュースが、ある路線の運転士が進行方向を間違え後部運転席に乗り込み途中で気がついてホームを移動したため、出発が4分遅れたと報じていました。英米での電車利用歴が長い私としてはもう笑うしかない!これが朝のプライムタイムニュースか〜、さすがニッポン。
前日も仕事だったYちゃんと駅で待ち合わせ、朝7時からバーも開けてる酒屋でお酒とお弁当を仕入れました。はやぶさ参上!途中盛岡で秋田方面に向かうこまちと連結しています。 もちろん時間通りに出発。いつもながらお掃除スタッフの迅速な作業、終わった後ホームに整列して乗客に一礼。ほれぼれするなあ。
金曜日に休みを取ったYちゃん午前中は社内でもお仕事、ご苦労さま。私は車窓の景色をたのしみました。ただスピード早くてのんびりって感じではまったくなし。iPhoneのGPS現在地を示す青丸が動くのが早い事!
1時過ぎに駅に着くとYちゃんのご両親が迎えにきてくださっていました。でも我々はレンタカーを借りるのでご挨拶だけで、車を借りてまずは八食センターへ。
なんでもそろうザ市場! 

右は全て林檎の部屋 
八戸といったら帆立もイカもおいしいんだ〜 
Yちゃんのお母さんがイカ刺しは買っておいてくれたので、帆立といくら、赤い三日月パターンが珍しい林檎と日本酒を仕入れました。
お家へ荷物を下ろして、近くの海岸へドライブに。
名勝地種差海岸までは車で20分。日が暮れかけていたけれど思ったよりあたたかく、穏やかな海を眺めながら遊歩道を散策。
インフォメーションセンターに入ると欅のいい香りにが心地よく思いっきり深呼吸。
遊歩道も整っていて歩きやすいです。
 水際に降りたら素晴らしく透明で感動しました。磯の香りもやわらか。
 展望台からの景色もいい感じ
寒いだろうなと身構えてきたのでちょっと拍子抜けするくらい暖かでした。
帰りには近所のスーパーへお土産の下見。せんべい類だけで棚一杯!種類豊富な南部煎餅、どれを買って帰ろうかな?

鰊、帆立、イカ刺し、しめ鯖などなど日本酒に合う物ばかり並べていただきました!
時間があれば蔵見学に行こうねと話している地酒がすすみま〜す。市場で買った生いくらは出かける前にお酒と醤油につけ込んでおきました。
美し〜い、そしておいし〜い。第一日目から大満足!

2014年11月27日木曜日

水の香り

二日続いた冷たい雨が上がり、さわやかな一日となりました。資源ゴミの日。古本や母のお稽古ごとの紙類を出すので早起きしたついでに、日の出前に散歩に出かけました。
 
朝の空気に元気づけられ、母がいるとわかった家で片付けがはかどった一日でした。

夏に亡父の郷里を訪ねた時立ち寄った阿蘇山が今活発に活動し始めています。そのニュースを聞いて、案内してくれた親戚を思い出していたら彼女から嬉しい荷物が届きました。
なんかつながってるなあ。彼女たちが住む街は被害はないけれど、本当にいい時にダニーと私が阿蘇を見れてよかったと喜んでくれました。当時は火口はきれいに見えたけれど活発にガスも出ていました。その後間もなく立ち入り禁止になったので運が良かったです。

父の葬儀関連の書類や写真が沢山出てきて一瞬ひるんだものの「大丈夫、なんとかなるよね」と母に問い、自分にいい聞かせながら少しずつまとめました。父母がみなと楽しんだ麻雀卓は長姉の家に持って行くので、アルバムやその他の物も一緒に届けます。後はゆっくり兄姉で思い出を整理してくれれば父も喜ぶでしょう。
父の軍での履歴書や勲章、航空地図、戦後司令部での勤続をたたえる賞状も出てきて歴史を感じます。明治に生まれ昭和に生き平成に父が逝ってもうすぐ20年。

しかし人生の歴史から考えると彼らが残したモノは、私の所有物と比べいかに少ないか。母が片付けられなくて気をもんでいるのなら私はどうなってしまうのか。予行演習!と思いながら片付けるも思い出が詰まった写真や手紙を捨てられずにいます。とりあえずあまり厳しく整理せずに送ってしまおうと決めました。幸いダニーもそうする事を進めてくれます。
この葉書も全部とっておいてとダニー。これ以前ももらったんですけどまだこんなにあったとは!目がかわいくていつも笑ってしまう。
今日は仏壇のある座敷でいつもは気がつかない水の香りがしていました。この前行ってきた奥入瀬渓流を歩いた時のような瑞々しい空気が漂っている感じ。霊には香りがあると聞いたことを思いました。この部屋で一緒に片付けてるよと知らせてくれるのかな。と書いて、まさか過去二日の雨でどこかに雨漏り?と心配になってきました。押し入れを整理しても濡れた場所はなかったので大丈夫だといいけど(笑)。

母の魂が早く安らげるよう、無理せできるペースで具体的に行動に移していこう。

2014年11月26日水曜日

救われた夕べ

11/21から24まで東北に行ってました。友人Yちゃんの里帰りに同行して青森、秋田、岩手をまわりました。その盛りだくさんの旅の模様はまたぼちぼち書いていきます。

わかっていたことながら、家から離れている時間が長くなればなるほど戻って気分が落ち込みます。

もうできないよ。。。と言葉に出してしまいました。片付けられない。焦燥感だけがつのる悪循環。

帰った翌日、パニックが少し落ち着いてからガチガチの体をほぐすために整骨院の予約を一日早めました。いつも夕方は混んでいるのが変更ができ、治療院に着くと誰もいなくてとても静かで驚きました。前にも書きましたがその整骨院はご夫妻で経営していて、奥さまは体操教室で母とよく話もしたそうです。年齢を感じずに仲良くできたそうで、この方となら気が合うだろうなと私も納得していました。

受付を済ませると夕方はいない事が多い先生が「治療前にちょっとお時間ありますか、お話ししたい事が」と言って座敷に案内されました。そこでの先生の話に救われました。

先生は滅多に肩など凝らないのに先週の土日はぱんぱんに張って不思議に思っていたそうです。まず始め土曜日に高校生の娘さん(週末は治療院受付を手伝うこともある)の肩が重くなりどうしたかと思っていたらそのうち先生に症状が移り、そして母が先生に話しかけて来たそうです。自分が片付けられなかったために私が苦労しているのが申し訳ない、ごめんなさいとしきりに謝り、私の事が心配で霊界に行けず今も自分は家に居ると。とにかく私の苦労に心を痛めている、申し訳ないと伝えてくれと。

現世で徳を積んだ母は、もう天界の優しい光の中でこの世を忘れて楽しんでいるとばかり思っていたのに。この期に及びまだ心配かけているとは全くもって面目ないです。

確かに今私が置かれている現状は片付け以上に余計なストレスがあります。そのことも母はわかってくれていて申し訳ないといっているそうです。とにかく自分も一緒にいる、本当にごめんなさいと伝えてと先生は頼まれたそうです。そして肩の凝りは一気にとれたと。

母が片付けたかった時に一緒にできなかったことを悔やみ、どこから手をつけていいのかわからず一人固まっていた日々が続いていました。手を貸してくれる、チアリーダーになってくれる友人もいます。みんな心配して声をかけてくれます。でも誰かを煩わせる事はストレスになるばかりで頼めないし、まず私の中で踏ん切りがつけられなければ何も進まないとわかっているので助けを求める気にもなれずにいました。

そんな折、先生を通じて語りかけてくれた母。自分のことをわかってもらえている。こんな心強い事があるでしょうか。周りに敵がいても大切な人が自分を受け入れて味方でいてくれることがわかった。これだけで充分です。

早く安心してもらいたいからがんばる気力が湧いてきました。ゆっくりだけれど少しずつ。何度も繰り返してきた言葉だけれど、いまは声を出して母に話しかけながら片付けを進めています。先生も「お母さまならどうするだろう?と考えた時、まず浮かぶのがお母さまの声だと思って間違いないですよ」と言ってくれました。「今日予約を変えて来られたのも、来た時に誰もいなかったのもみなお母さまがアレンジしてます。明日なら私はここにいなかったので」とも。

押し入れをひとつづつ。粗大ゴミ引き取り申し込みを少しずつ。失敗する度に「またやっちゃった。容量悪くてごめんね」と母に謝りながら手足を動かしていけばなんとかなる気がしてきました。

2014年11月19日水曜日

2014 晩秋 東京 Day 27, 28 & 29

もうすぐ一ヶ月。風がなければあたたかめの毎日だったのが今日から急に初冬です。

月曜は友人のお父様の命日に一緒にお墓にお参りに行きました。朝のお寺は清々しい。

 
丹誠込めて育てられた菊の展示。昔と比べるとだいぶ数が減ったと友人は言います。



きれいに並んだ束子を手に取って観音さまをごしごし 
帰りに黒みつたっぷりのくずもちでお茶をして、母のお気に入りのごま専門店に寄りました。甘辛く炊いたイワシや鯵にすりごまをたっぷりまぶした定番商品はご飯にもお酒にもよく合います。ここでしか買えないのでお土産にもってこいです。
火曜は母が勤めた大学に資料を寄贈しにいきました。持ってきますよ〜といったはいいが、かなり重くて自転車でよろけながら運びました。新卒で入り今は役員になっている方が給料日前に母に前借りを申請したなど懐かしそうにエピソードをシェアしてくれました。保存状態の良い資料もとても喜んでもらえました。
女学校を出て直ぐ就職、勤続46年。縁の深い場所で40年前の母の話を聞けるとは!
前日に整理した戸棚からは文鎮やら置物やらの記念品も出てきました。
 
 
私の中学高校の成績表まで。。。これは忘却の彼方に置いておきたかった。その中には他にもなぜかタバコ(チェリー)の記念包み紙に、懐かしい手紙いくつか。その中の一つのエピソードが強烈なのでご紹介します。

中学生のある冬、菅平へ友人家族とスキーに行きました。帰りにおそば屋さんに寄った時、当時汲取式だったトイレにオーバーオールの胸ポケットに入れてたお財布を落としてしまいました。お店の人に話したら、後日変色した(苦笑)でもきれいに洗濯された布製のお財布と現金が手紙とともに送られてきたのです。
清掃のかたも探しながら作業したということで丁寧にお礼も払っておいてくださり、もう恐縮の至りでした。礼状とお礼の品を送ったらまた葉書をいただきました。あのおそば屋さんはまだあるのかしら。「御財布の」と言ってくれればとありますが流石にご主人は代替わりしているでしょう。
一緒に当時を思い出して母と笑いたかった。
話を火曜日に戻します。一つ仕事を片付けたご褒美に気になっていたラーメン屋さんへ。小型ながら自転車があればどこでもすいすいです。ストレートの麺にあっさり帆立だし塩味スープがおいしく体も温まりました。チャーシュー抜きと言うのを忘れた。。。残してごめんなさい。

夕方は兄に食事に誘われていました。その前に思い立って先週は色づきが薄かった銀杏を観に外苑前へ。例年より色づきは遅いみたいですね。

待ち合わせは神田。全く土地勘がないので早めに着いて散策しました。まあ凄い数の飲食店密度です。居酒屋系が多い中、偶然見つけたパブでハッピーアワー。
ビター好きの兄も気に入ってギネスも美味しかったです。内装も外が居酒屋ばかりの町とは思えない雰囲気でよし。
 
食事は海鮮居酒屋。スモーク鯖が美味しかったなあ。一人で行き詰まっている私を気遣ってくれてありがたいです。その日はビール、ワイン、日本酒のミックスがきいたのか10時前には爆睡してました。

水曜日は叔母たちがお惣菜を持ちよっての月一度の集まりでした。昔のアルバムや写真を叔母たちに配りながら母のいない淋しさに口数はどうしても少なくなりました。

今朝は湿っぽさを一掃!と朝の散歩へ。朝陽はいいですね。
今日はいろいろな方々へ写真を送りました。大学時代の親友の二人目の赤ちゃんは今年高校受験。母の10年分のお稽古毎の練習帳も資源ゴミへ。ゴミを出す量も日も厳しく管理されているのが正直ストレスです。粗大ゴミ、といっても30cm以上の電化製品や座布団もその類いになるこの辺りは、持ち込むにも寸法からなにから事前報告しないと受取を拒否されます。スペースが限られているから仕方ないけどね。
何でも大事にしてきたから沢山思い出ができた。そりゃ整理できなかったよなあと思います。私は今、予行演習をさせてもらって感謝しています。
早く片付けないと本来の生活パターンに戻れない。その不安から駆け足しては息切れを繰り返してきました。今になって無理をしてきたことを認めます。昔から喪中が一年である理由を体感したというか。心の中では自分を甘やかしているだけ!という厳しい声が今も響いてきます。いつから自分なこんなに意地悪になってしまったのだろう。効率よくやるべきことをやって当たり前、という歪んだ見方が自分の中に根深くあると認めざるを得ません。母には、もちろん父からもそんなプレッシャーは感じた事がないのに。こんな風では心休まる時がなくて当然か。自分が一番自分の味方でなくては生けないときなのに。全気付いたからにはなんとかしなくては。冷静かつ強くそう思います。
腰が痛かった時代、届かない場所の物をとったり、靴下をはいたりするのにワイヤーハンガーを活用していた母。今日はやっとそこここに残っているものを燃えないゴミ袋にいれました。