母のことを考えない日はありません。そして今月は日本行きを控え、想いは去年へ遡る。
ノートを見たら去年の16日は月曜日。その前の週の土曜日から個室に移りました。16日夕方に主治医から呼ばれ、右肺が真っ白になったレントゲンが映る部屋で話を聞きました。根元にできた腫瘍が右肺に行く血管を全て塞いでしまったこと、それでも片方肺で元気な人も入る、左肺が機能をしていて酸素を送り出せている。一番怖いのは機能の弱った肺に血が送られ充分な酸素がつけられないと酸素の血中濃度が薄くなる。今はそれはない、今後は感染症に気をつけて、出血しているであろう右肺から左肺へ血が行かないようにする、右肺を下にしてなるべく左肺に負担がかからないようにすること。真っ白なレントゲンを見ながらも、最悪のつぶれ方は避けられている、とそんな言葉に希望を持ちました。
ステロイドの副作用で湿疹もできていたけれど、文句一つ言わず、その日はお昼にメンチカツ、夜は私が商店街で買ってきたコロッケも食べたね。その日のノートは結構整った字で細かく書いていました。ノートは見開き左側にやることリスト、右側が夜の睡眠、起床、バイタルサインの測定から食事、検査などを記していました。
その数日後だったか。院内で心電図の検査に違う病棟に私が車椅子を押して出かけました。外で待つように言われ待っていたら、ふと「あ、左を下にしていないといいけど」と思い立ち、母が一人でいるカーテンの向こうから声をかけてみたら、左側を下に寝かされていました。急いで向きを変えて、担当の技師に左は下にできないことを伝えられたときの安堵感。
このところ睡眠時間は平均4時間半。先週末は去年ミズーリで結婚した友人Rが遊びにきてくれました。彼女はこれから一週間の瞑想リトリートに向かいます。14キロのハイキング、久々の手料理、話題が尽きない弾む会話。ダニーを交えてとても楽しい週末でした。
私はかれこれ4週間しつこい咳が抜けずにいるのですが、ダニーは日曜日からひどい咳と鼻づまりが始まり、Rに伝染ることを恐れて日曜から自主隔離してました。先週会議で大勢人が集まる所に出かけていたから仕方ないけれど、わが家は咳で賑やか(苦笑)。
6月まるまる一ヶ月、苦しかったのにほんとうに母はがんばりました。最後の最後まで立派だった母を心から尊敬します。
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