2015年1月25日日曜日

欧州 Day 9 大晦日

年末年始を振り返っています。やっと大晦日に突入、ほぼ一ヶ月遅れですがおつきあいくださいませ。

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大晦日の朝は大風で明けました。雨こそ降っていないけれど暴風と呼べるハンパじゃない強さで吹き荒れています。

そんな日は家でのんびり。夜はママが毎年足を運ぶニューイヤーコンサートにご一緒します。ホール内のレストランで6時から夕食、開演は9時からといったスケジュールです。
 
4コースディナーに備えてお昼は軽くミンツパイ、そして焼きもち。初めての年越しとあって丸餅と焼き網、海苔に醤油も持参しました。
ここに東洋と西洋のホリデーバイツご対面です。丸もちに下からなんか形も似てて愛らしい。ママや遊びにきた兄弟たちも喜んで食べました。

コンサートホールは街の真ん中にあります。近所に住むP叔母さんが車で迎えにきてくれました。年越しコンサートなんてまず人出が大変と浮かびますが、早めのディナーからなら余裕で敷地内の駐車場に停められます。道も拍子抜けするくらい空いていて、人の多さになれていると首都といえどもアイルランドの人口密度はやさしいのです。
クリスマス色に光るコンサートホール 
ディナーは正統派でほっこり温まる美味しさでした。ダニーママのお友達二人、P叔母さん、我々6人でテーブルを囲みます。お友達のお子さんは海外で仕事をしている人が多く、クリスマスを一緒に過ごしてそれぞれ戻って行ったばかりとのこと。海外に住み家族や友達が遊びにきてくれると見送る時にはどっと力が抜けてさみしくなるもの。いつもそのタイミングでこのコンサートに来ているのかと彼らの気持ちを想像するとちょっとしんみりしました。

私たちも母が生きてくれていたらお正月は日本で過ごす予定でした。今も、母がここにいたら、これを一緒に観られたら、食べられたらと事ある毎に思います。ダニーもお父さんを亡くして「あ、これお父さんが好きそうだな」と感じて自然に笑顔がこぼれた時「ああもう自分は大丈夫」と思ったそうです。それにはしばらくかかったけどね、とも。まだ笑顔になれないけれど、そのときはいつかやってくるでしょう。そしてこのブログを始めたきっかけを改めて思い出しました。私は母と一多くの事を共有したかったのだと。母が私を産んでくれた年を過ぎて、遠く離れているからこそもっと知りたいし、知ってもらいたい。毎日の暮しを通して感謝の気持ちを表現したかったからブログは続きました。

かぼちゃのスープが食欲をそそります。ダニーと私はローストビーツのサラダと帆立のグリルをシェア。 他の皆さんはフォアグラを堪能されていました。

口直しのシャンパンソルベがとっても美味しかったです。見かけは柔らかそうなのになぜか結構硬い!スプーンに力を入れたらグラスから飛び出しそうになって焦りました。
ステーキもおいしかったそうです。ダニーは叔母さんのを味見させてもらいご満悦。私はメインにシーバスのグリル、アジアンソース。醤油風味のソースでチンゲンサイが炒めてり上にはフェンネル。香りが引き立って食欲をそそりました。
ダニーはポレンタのグリル。シェアできる物を頼んでくれ有り難い。只ポレンタはちょっと甘めで、焼き野菜は新鮮で美味しかったけれど味付けにひと味工夫がほしい一品でした。トライフルはちょっと硬めのゼリー状で生クリーム、スポンジ、フルーツの組み合わせを期待していたので当て外れでしたが、味は甘すぎずよかったかも。
プティフールのマカロンも美味しくいただきました。あきらかに食べ過ぎ。これでコンサート最後まで持つのか?
演目はバートバカラック特集。未だ現役という大作曲家の曲をオーケストラをバックに歌手が歌います。あれ、これもそうだったの?という耳慣れた曲が次から次へと披露されました。

途中で何度かハプニングがありました。一日吹き荒れていた大風は夜になり激しさを増し、なんと途中で何度か停電が起きたのです。コンサート前からステージの上で時折、景気のいい「パーン」という音がしてその都度一瞬照明が暗くなっていました。てっきりパフォーマンスだと思っていたら電気系統がショートしていた音だったらしい。歌手が歌っている間に照明が落ち、マイクも切れるという事態が二回ほどあり、その都度オーケストラは「楽譜読めるの?」といった薄明かりで演奏し歌手も歌声をとぎらせませんでした。
休憩中はシャンパン飲み放題!これ以上飲んだら間違いなく寝てしまうのでほんのひと口。
そしてカウントダウンが始まりました。頭上には網にはいった沢山の風船。これがカウントダウン終了後落ちてくる仕組みなんだそうですがなんと失敗。停電でタイマーがリセットされたか?この風船、結構楽しみにしていた人が多かったらしく、帰り際みんな不満げでした。このホールだけでなく、ダブリン市内のあちこちで停電トラブルはあったそうで、自然相手じゃ仕方ない。

1時過ぎには家に着きました。P叔母さん、ありがとう。彼女は早くに夫(ダニーママの実弟)を心臓発作でなくしてから四人の男の子を育て上げました。母の事も会ってすぐには言えなかったけれどとしばらくしてから、本当に残念だったわね、ずっとあなたの事を考えていましたよと声をかけてくれて心に響きました。

私には家族が待つ場所がここにもある。溢れる感謝の念は母の不在を浮かび上がらせもする。ここに居る=ご先祖様のお陰と有り難く思うほどこの世で会えないさみしさが気持ちが募る。まだそんな心境で時間は流れて年は明けました。

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