2015年2月13日金曜日

ここ数日で段ボール箱20個ほどを開けて中身を整理していました。母の趣味の本、茶器や花器、食器類などなどいろいろな物をアクセスしやすい場所に種類別に並べて、少しずつ精査していく予定です。

帰国した週は悪天候でしたが、週明けから天気がよくて連日20℃を超す暖かさです。今日は24℃、これからしばらくそんな陽気が続くらしく、ガレージや地下室での作業も苦になりません。
今日、おそらく40年ぶりに雛人形を飾りました。奥行きが足りないけれど部屋の隅に場所を見つけて飾ってみたらそれなりにまとまりました。迷いつつも帰国直前に手荷物として持ち帰ったのでタイムリーに飾ることができてよかった。

とても丁寧にしまっておいてくれたんだなあ。きっと当時世話をしてくれていた伯母と母で片付けてくれたんだと思います。
 小物類をお人形に持たせる時の緊張感を思い出したり、御膳のかわいさにときめいたり。

中身はもちろん外箱も油紙で包装されていたからか保存状態もとてもよく、ぼんぼりの灯りまで点きました。

しみじみ畳の部屋が欲しいなあと思った春日でした。

2015年2月9日月曜日

母と来たかった場所②

また前後しますが1/21は母のお友達と初大師さんへのお参りに行きました。昨年お墓参りの帰りに今年は一緒にいかがと誘ってもらい楽しみにしていました。年末年始に日本にいてもその頃は帰国していたので一緒に行く機会はないままでした。1月末にはいつもダニーと私の分のお守りを送ってくれていたっけ。

朝は霙もぱらつくあいにくの雨模様でしたが駅に着く頃には止んでいました。しかし寒さ故皆さん「こんな空いているの見た事ない!」というほど人が少なく、ゆっくりお参りすることができました。
毎回護摩札も奉納していてくれたと聞いて、家内安全とダニーと私の健康を祈願してきました。いつも送ってくれるお守も買って。
 
「このお店でいつも小さな干支の置物を買ってらしてね」といわれたお店は色とりどりの大小様々なだるまさんを始め”ザ 福よ来いグッズ”が所狭しと並んでいて、足を踏み入れたとたん笑みが漏れます。

楽しみながら毎年こうやってみんなの健康や幸せを願うってなんかいいですよね。
「くずもちよりはおまんじゅうをお土産にする事が多かったかな」など母の足取りを詳しく教えてくれます。おまんじゅう屋さんは列ができていたので久しぶりにくずもちを買ってみました。できたての飴を味見したりお参りあとの参道独特の楽しみがあります。一緒に出かけた場所で母の事は必ず思い出すとおっしゃってくださるのを聞き嬉しかった。

相変わらず風は冷たかったけれど雨が止んだからか、お昼近くになって人出が多くなる頃には帰路に着きました。昼食も毎年のコースを辿り、母が好きな天ぷらをいただき、
そこでも懐かしい話に花が咲きました。
母の人生のほんの一部だけれどこうして体感できることに安らぎを覚えました。思えば母が亡くなって以来この日に初めて悲しみより笑顔で母の話ができたように思います。沢山の思い出を辿れる形で残してくれてありがとう。

2015年2月8日日曜日

欧州での年明け Day 10 & 11

節分が大晦日、立春が元日という暦の読み方もありますね。それで行くと新年明けてすぐに日本を発ち大晦日にカリフォルニアに戻ってきました。2014年は多くを失って、また得た一年でした。今年は新たな気持ちでいまここを大切に進んで行こう。

欧州で迎えたカレンダー通りの元日はこんな心境ではなかったのですが更新を続けます。

引き続き雨風が続く元日、ダブリンも残すところ二日となりました。ダニーの直ぐ上の兄とフィアンセと散歩に行く予定でしたが、悪天候だったので彼らが遊びにきてくれました。
磯辺焼きとお茶を出したらすごく喜んでくれて、わざわざ持ってきた甲斐があったという物です。コンサートホールで風船が降りてこなかったと聞いた彼らは、沢山の風船をお土産に持ってきてくれて大笑い。一日灰色の空でしたが、家の中は明るい笑いに満ちた日になりました。それでも夜になると「ああ本当なら今頃東京で。。」という思いがどうしようもなく重くて、いまを感謝しているのに気持ちは沈んでいきました。
ありがたいことに何があっても夜は明ける。翌二日は又晴空が戻りました。フルに活動できる最後の日はやっぱり歩きに行きたくなりました。
Hell Fire Clubと呼ばれる建物は、その昔違法カードゲームが行われていた賭博場で、火事が出てから廃墟になったまま。幽霊が出るというまことしとやかな噂があるとか。
嵐が丘並みの風の強さで、確かに何が出ても不思議でない雰囲気に満ちています。

天気がよければダブリン市内はもとよりが一望できてとても気持ちよい所です。ママとお昼を食べに行く約束だったので、早歩きでいい汗かきながら登り降りしてきました。
帰りはお気に入りの湿地帯で先日まわれなかったエリアをドライブ。この辺りの風もハンパじゃなく強いのですけが息をのむ景観が続きます。風さへ遮ることができれば少し歩くだけで汗ばんでくるので、次回は防寒具を用意してハイキングしたいな。

以前友人たちと来たパブにママを誘って最後のランチを楽しみました。夜は一番上の兄夫婦にディナーに招かれているので食べ過ぎ注意!
ママは野菜スープ、ダニーはレバーパテ、私はシーフードチャウダー(今年はここが一番美味しかった)、メインはフィッシュ&チップスとスカンピのフライをみんなでシェアしました。
夕方、腹ごなしの散歩がてら近所のパブへ。今回は延べ8軒のパブでギネスを味わいましたがGoreyのFrenchesが堂々一位に輝きました。
兄夫婦の家での最後の晩餐はゆっくりワインも楽しみたいのでタクシーででかけました。
食前酒片手に兄おすすめのクラシックを聞きながらおしゃべりが弾みます。彼らはオペラも好きだけれどバロックが好きでこの日はバッハの息子たちの音楽とそれにまつわるエピソードで盛り上がりました。
姪と甥は出かけていましたが、前菜は姪が作ってくれた茄子のパルメザンフライ。食欲がそそられます。
メインはシーバスのグリル、バジルソース添え。付け合わせは前からマーケットで見て興味があったけれど食べたことがなかったサムファイア(samphier)とじゃがいもでした。日本語ではアッケシソウ(厚岸草)、シーアスパラガスとも呼ばれるこの野菜は茹でるか蒸すかして好みでオリーブオイルやバターで和えて添えるのが一般的です。海沿いの岩地や湿地帯で取れるのでかなり塩味が濃く食感も山菜と海藻を混ぜたような感じです。濃いグリーンも目に鮮やかでどんな魚料理にも合います。
旬のタラを買いたかったのだけれど魚屋さんになくてシーバスを勧められたそうで、おすすめだけあってとっても美味しかったです。
チーズは'98年の赤ワインと。ああ〜、至福。
クリスマスプディングにはふわふわのブランデーバターを添えて。普段甘い物をそう食べない人たちもこの組み合わせには目がないようです。 かなりリッチなのでひとくちで大満足が得られます。一緒に出されたワインとのペアリングが絶妙でした。
途中甥も姪も戻ってきて、母の話もふくめ沢山の楽しい会話で満ち満ちた夜に別れを告げ家に戻りました。さて三泊四日のロンドンで何しよう?と他人事とのような気持ちで荷造りに取りかかりました。

2015年2月7日土曜日

偲ぶ心

予定では今日は、いや昨晩から500km南の砂漠近くの街に行くはずでした。大切な友人の義理のご両親のメモリアルサービスに参加するために。

帰ってきてすぐだから無理しないでと言ってくれたけれど、車で5時間なんてアメリカでは珍しい距離ではないし、何度かお会いしたご両親にも最後のお別れをしたかった。

ところが木曜深夜、ダニーが外出帰りに鞄を盗まれてしまいました。現場に私が着いたのが午前2時過ぎで警察が到着するのを待ち、朝が明けてもコンピュータの情報を悪用されないためにパスワードを変更したりやる事が目白押しになってしまいました。運の悪い事に鞄は数年前に大奮発して買った一点もの。ダニーの落ち込みも激しくここを離れられる状況でなく欠席する事になってしまいました。

こよなく空を愛して最後も飛行機に乗っていたお二人。心よりご冥福をお祈りします。

母の病を知り日本へ発つ時からずっと寄り添って励ましてくれた友人は、私の様子からシミュレーションができたと言ってくれました。私の葛藤や後悔が少しでも役に立ってくれたなら救われます。亡くなる直前にだんなさまがお父さんと一週間一緒に過ごせて、普段電話などかけてこないお父さんが「この前はとっても楽しかったよ」と連絡してきたこと、長年の友にも前日に長電話をしていたこと。そんな悲しいけれど少し心が温かくなるエピソードを話してくれました。普段の自分らしからぬ行動をとったらなにかの虫の知らせなのかな?なんて。

今日は父の命日、20年前の自分の誕生日に父は旅立ちました。ある方がブログで日本人の死生感は独特だと書いておられました。どんな人でも亡くなったら神仏としてご苦労様と葬り、別に思い出さなくてもよい故人を忘れずに慰めるのが日本人だと。たしかに外国ではそれほど継続的に偲ぶ行為はされていないように思います。このように弱者(故人)を忘れない習慣は色々な気づきを生活の中でもたらしてくれると。両親が健在な時にこの情緒に目覚めていれば気づきを得て感謝の気持ちを直接表現できたのにと思います。
Better late than never. この気づきを無駄にしないように。

2015年2月6日金曜日

20年と7ヶ月

2/7は父の20回目の命日です。母の7回目の月命日を終えてから帰国しよう2/3の便を予約したのですが、父にはフライング(笑)でした。命日が誕生日でもあり存命なら106歳になっています。

父は入院一週間で病院で亡くなりました。その頃私はロンドンにいて、知らせを受けてから飛行機に乗りました。どんよりとした地上から飛び立って雲を抜けると明るすぎて目を開けているのが辛かったこと、となりのおじさんがやたらと話しかけてきて疲れたこと、この二つをなぜかよく覚えています。当時の自分はいい年になっていながらも今と比べても足下に及ばないくらい子供でした。そんな思いを初めて墓前で父にお詫びしてみたけれど。

また時間は前後しますが出発前日も快晴でした。兄が夕食に招待してくれたのでお墓へは昼着を目指して、駅前で母が好きだったパンを買ってでかけました。一週間も空けずにお墓い参ったのはこれが初めて。火曜日にさとが供えてくれたお花がまだまだ元気で、追加で買った花束を添えたらとっても賑やかになりました。もう菜の花が出ていて、季節は確実に春に近づいています。
 
のんびりと思うままにしばらく日だまりの中ですごしました。
夜はお魚の美味しいビストロにてお腹いっぱいごちそうになりました。お刺身に煮付けに大好きな鯖の塩焼き。
変わった所ではイカスミチャーハンが美味でした。持ち帰りができないとあって量は多かったけど結構食べちゃった。

3ヶ月の日本滞在と2週間の欧州旅行で述べ100人を越える親族や友人知人と会うことができました。世界中に居る大切な人にこうして会えるってすごいこと。その多くは父母を通じた縁であることに改めて感謝です。

2015年2月5日木曜日

Back in CA

2/3に無事に戻りました。3ヶ月の日本、2週間の欧州。めくるめく日々が今は遠い昔のようです。時差ぼけで午前2時に目はぱっちり。暗闇の中で思い越せば80人を超える親族や友人に会えていました。日本を出てほぼ30年なのにこんなにたくさんの大切な人たちが日本にいてつながっていられる。その事に感無量です。

帰国に際しての最懸念事項は8個の荷物でした。出発直前に2個船便も送ったのですがその他を持って帰るべきか否か。迷いに迷い3個までの無料枠以外に5個の段ボールを持って帰ってきました。それも林檎箱を二つつなげたりしたかなり高さのあるヤツです。強力ガムテープのお陰でそういったカスタムメイド(笑)の箱が大活躍で、既に船便で送った13個は無事に届いていました。

問題は空港までの運びとターンテーブルで受け取ってからの通関。行きは従姉夫妻が羽田まで送ってくれて一緒にチェックインカウンターまで3台のカートで移動できました。空港はそこらのイルミネーションパーク顔負けのキラキラ度で結構いいですね。時間があったので一緒に展望台も見学できて喜んでもらえてよかったです。本当に助かりました。
見えにくいけど、左端には東京タワー、右端にはスカイツリーが見えます。結構距離が有る感じ。
おまけに恵方巻のお弁当まで作ってきてくれて感謝感激です。ラウンジでパクリ。
今回もマイルでビジネスにアップグレードできたので3個まで無料、それ以降計は7個まで重さは32kg、3辺の合計2m以内(厳密には2m+数センチ)なら一つ15000円で預けられます。32キロは持ち上げられないので無理だけれど、20キロほど航空便で送ろうと思えばこの値段では済みません。結局母が集めた花器やひな人形など取り扱い注意、かつ今処分するには忍びない物を一緒に持ってきました。

今回乗ったビジネスは機体が新しく快適でした。フラットベッドでパーソナルスクリーンは大きく、深夜のフライトだからか食事は自分の好きな時に頼めます。
 
朝和食も弁当熱を呼び覚ます献立に盛りつけでした。箱はトレイにくっついているのですが一つ一つの器は陶器にガラスで冷菜、温菜もそれぞれ適温でサービスされました。
強い追い風で到着は30分近く早く到着、不安だったターンテーブルからの荷物サービスも難なく受けられました。気温は19℃、日本は関東でも雪模様だというのに穏やかすぎて拍子抜け。
税関も全箱スキャンされたけれど開けられる事もなくダニーとご対面。荷物の量を事前に知らせては置いたけれど驚きを隠せないダニー。だいじょうぶだって〜、と言う私を信用せずケース二つとシャトルに乗れと言います。
でも結果はオーライ!私が一つ軽い箱を膝に乗せた状態でだったんですけどね(笑)。

家に帰ってシャワーを浴びれば眠気がどっと襲ってきて8時就寝。しかし2時に覚醒、どうしても寝付かれなくて少しずつ荷物を整理して小腹が空いた頃ダニーもごそごそ起きだしてきたので、一緒に夜食。
従姉の恵方巻とおうどんセットでお腹が温ったまれば眠れるか?しかし結局紫ピンクの日の出を見ても目は冴えてしまい、軽い誘眠剤を飲んで寝たら起きたのが午後4時でした。年々激しくなる時差に荷解きのスピードは遅くなるばかりです。
食材の買い出しに行って今日初めての食事が夜10時。

一度はデザートを食べたけど。。。 
 
真夜中のデザートは日付が変わってしまいました。このところずっとアイスが食べたかったんだよ〜というダニーにつき合っただけなんですけどね。
体のリズムに逆らわず行くのが時差ぼけ解消の秘訣、ということで今は納得している自分です。