2015年2月7日土曜日

偲ぶ心

予定では今日は、いや昨晩から500km南の砂漠近くの街に行くはずでした。大切な友人の義理のご両親のメモリアルサービスに参加するために。

帰ってきてすぐだから無理しないでと言ってくれたけれど、車で5時間なんてアメリカでは珍しい距離ではないし、何度かお会いしたご両親にも最後のお別れをしたかった。

ところが木曜深夜、ダニーが外出帰りに鞄を盗まれてしまいました。現場に私が着いたのが午前2時過ぎで警察が到着するのを待ち、朝が明けてもコンピュータの情報を悪用されないためにパスワードを変更したりやる事が目白押しになってしまいました。運の悪い事に鞄は数年前に大奮発して買った一点もの。ダニーの落ち込みも激しくここを離れられる状況でなく欠席する事になってしまいました。

こよなく空を愛して最後も飛行機に乗っていたお二人。心よりご冥福をお祈りします。

母の病を知り日本へ発つ時からずっと寄り添って励ましてくれた友人は、私の様子からシミュレーションができたと言ってくれました。私の葛藤や後悔が少しでも役に立ってくれたなら救われます。亡くなる直前にだんなさまがお父さんと一週間一緒に過ごせて、普段電話などかけてこないお父さんが「この前はとっても楽しかったよ」と連絡してきたこと、長年の友にも前日に長電話をしていたこと。そんな悲しいけれど少し心が温かくなるエピソードを話してくれました。普段の自分らしからぬ行動をとったらなにかの虫の知らせなのかな?なんて。

今日は父の命日、20年前の自分の誕生日に父は旅立ちました。ある方がブログで日本人の死生感は独特だと書いておられました。どんな人でも亡くなったら神仏としてご苦労様と葬り、別に思い出さなくてもよい故人を忘れずに慰めるのが日本人だと。たしかに外国ではそれほど継続的に偲ぶ行為はされていないように思います。このように弱者(故人)を忘れない習慣は色々な気づきを生活の中でもたらしてくれると。両親が健在な時にこの情緒に目覚めていれば気づきを得て感謝の気持ちを直接表現できたのにと思います。
Better late than never. この気づきを無駄にしないように。

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