2014年6月12日木曜日

日本での日々

5月31日、久しぶりに成田に着きました。母が入院している病院へ直行して、顔を見たときの安堵感は言葉には表すのは難しいです。

喘息か風邪か花粉症か。長引く咳を本人も周りも気にしつつ、耳鼻科では何も見つからず、数ヶ月が過ぎていきました。

本人は毎日の近所の買い物、週一度の体操教室とペン習字のお教室、月に一度のお友達との外出や妹達との集まりも変わらず楽しんでいました。

先月初旬お教室の帰り、いつもは問題なく歩ける距離が息苦しくて帰れないかもしれない。無事家には帰りましたが、そのときは不安だったようです。翌週近所の医院に行きました。長年お世話になっていたホームドクターが去年亡くなり、よほどのことがない限り病院には行かなくなっていたのも今となっては悔やまれます。

レントゲンで胸水がたまっていることがわかり、週明けに大学病院を訪れました。一週間後の月曜、検査の結果、水曜日に再入院の運びとなりました。通院、入院には母の妹達が付き添ってくれて私も逐次話をしつつ、再検査してもらえば安心だと本人も周りもゆったりと構えて入院当日を迎えました。気管支鏡検査は本来日帰りの検査ですが、89歳という高齢のためゆったりとした日程が組まれただけですから。

入院当日の予定を聞こうと日本時間の木曜日夜に付き添った叔母にCA時間午前4時半に電話をしました。すると「今、帰ってきたところなのよ。。。。ちょっと一息つかせて。あなたに話さなくちゃと思ってしっかり聞いてきたから。」送り届けるだけならとっくに帰っているのに今帰ったところと聞いて血の気が引きました。さーっと音を立てて血の気が引く。この表現を身にしみて感じたのは初めて。

20分後に電話する事にして、私も身支度を始めました。仕事は毎日12時間、やる事は満載です。かけ直した叔母は静かに「長くなるわよ、時間は大丈夫?」と切り出しました。

結論を言えば検査の経過、治療のオプション、その他諸々を話すために一人娘には早く帰ってきてもらうべき、自分にも電話するようにと主治医から言付かったとのこと。主治医の先生は丁寧に所見を延べ、限られた選択肢を説明してくださり、私は電話を切った直後にチケットを予約しました。

いつもより遅れて出社した私を心配していた同僚たちに、今日で仕事を辞めざるを得ないと話して、心配でパンパンになった頭を仕事が解放してくれたことに感謝しました。

いつどうなっても不思議はないという主治医の言葉が響く中、久しぶりの成田便に乗り込み、ただ頭を空っぽにすることに集中しました。

成田上空から、また都心に向かう車窓から、目を細めながら見た緑。日本とはなんて水に恵まれた国なんだろう。田植えが終わったばかりの水田や周りの樹木の新緑の鮮やかさを、私は決して忘れないでしょう。

帰ってきて丁度今日で2週間。日々、これほど”いまここ”に集中したことはない。そういえる毎日を過ごせることに感謝しています。

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