数ヶ月前に数人とFacebookでつながり、今回帰国してから連絡を取ったにもかかわらず、思わぬ数のメンバーが集まっての飲み会となりました。
根城だった新宿に繰り出せば、タイムギャップも感じず盛り上がれるのが昔の仲間の素晴らしいところ。それぞれキャリアを積み、多くの土地で働き、家庭を築き、子を育て貫禄が出ていました。外見は驚くくらい変わっていなかったけれど、その中でひときわ変わっていないと言われた私。喜ぶべきか否か?「海外生活が長い(ちょっと変わった)日本人になってないね」とも言われました。これは、日本語が変だよ、と言われたりするとより嬉しいです。まあ海外生活は長いけれど、年に数回は帰国できているのは有り難い事です。今は仕事でも日本語にどっぷり浸かっている生活だし、ヘタすると英語が危ないんじゃないかと思ったりもします。
さて、いざ集まる事が決まって、ほぼ全員の連絡先も判明。しかし一人、昔の寮の住所しかわからない子がいました。その後海外赴任もしているという話で、いずれにせよ寮にいるわけなし。昔の年賀状などを整理してみるも、載っているのは実家の住所だけ。電話番号さへわかればなあと、当日も昔の手紙箱をひっくり返していたら、ありました!実家にお電話して事情をお話ししたら、お父様が自宅と携帯番号を教えてくださり、つながったのです。その彼は新幹線に乗って新宿までやってきました。個人情報どうのこうのとうるさい世の中、私の名字が変わっていたのでお父様が覚えていてくださってすぐに教えてくれたのだとか。嬉しい偶然が重なりました。残念なタイミングとしては、数日前にドバイに赴任してしまった仲間。後数日早ければ、会えたはずでした。この彼とは、私が東京に出張中、新橋の歩道でばったり会うという偶然があったり。ドバイでの活躍を祈ります!
てなわけで、ビールを飲み、昔話に花をさかせ、今もバイクに乗っている連中は何処そこの峠を責めただのそんな話もしていました。
楽しい峠 Yamaha Phazerの私は前
夏休みには紀伊半島まで合宿に出掛け、地元国道の標識を二人一組で磨く。そんなボランティア活動もしました。そこから故郷に帰ったり、ソロツーリングをつづけるなど各自夏休みを楽しみました。秋には、ナベカマと称して、行き先不明のコースを手書きの地図に隠されたランドマークを探しながら進む恒例ツーリングがありました。行き着く先は河原でそこでナベカマを皆で囲むという具合。通称ミッドナイトでは、午前零時に第三京浜出口に集合。真鶴方面などを走り、時には御前崎で朝日を観て帰って来たっけ。
二台目はオフロード車。オンロードと乗り分けて、モトクロスコースより、林道を走るのが好きでした。山中で飲むお茶の美味しかったこと。
ある夏休みには北海道にソロツーリングにいきました。数日は友人宅にはお世話になる予定で、あとは全部キャンプの道中。東京出発は深夜の仕事を終えて午前3時。青函連絡船最後の年でした。キャンプ一日目、ポールを忘れてバス停で宿を取るはめになり、翌日は行き先を友人宅に変更。宅急便でポールを送ってもらってまた旅を続けたり。同じくソロツーリングで出掛けた浅間山では、広いキャンプ場にたった一人で怖くて眠れなかったり。まあ、いろんな思い出があります。
道東の海岸にて
みんなの記憶を合わせると多くの場面が鮮やかに蘇り、笑いが絶えない夕べとなりました。
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