2012年6月19日火曜日

Attachment

ええと。誰しもが学びを求めているからこの世に産まれてきたのであって、この世の中で生きていずれ去って行く過程で感謝の心を忘れずに、執着から解き放たれればベストらしい。頭ではわかる。感謝の気持ちを持つことの大切さも、昔に比べればわかるようになって来た。しかし、この執着というもの。これが結構厄介。こだわりとかいえば聞こえがいいかもしれないけれど、こだわりすぎるのも何かと窮屈なのは経験済み。

物品に限らず何かを欲して手に入れる。これさえあれば幸せが永久に確保されるかの様に思えたりする(ときもあった)。でも手に入れば高揚感はいずれ薄れ、当然それだけで桃源郷が現れるでもなく、また次の目標に目移りする。

ふとそんな事を考えた。机の上のテーブルマットを見て。

同じようなデザインを近所のデザインショップで見ていながら、Dとお正月明けに行った合羽橋で欲しくて買った品。既に二人のスーツケースはパンパンで、別送品も送ろうかというのにテーブルマット?お値段だってうる覚えの品より高い感じさえする。でも、今、この寒い中、二人で同時に「これいいね!」と眼を見合わせたタイミングで買うことを決めたかった。彼は近所の店で似たようなデザインがある事を知らない。私も改めて品定めをする段階になってやっと思い出したのだから。それを話したら理論的な彼はきっと、じゃあそこに見に行こう、の一言で終わっていた。でもそのときは、数日後に帰る今の住処が遠い場所で、いまここで目にした愛おしいものをなんとか持って帰りたかった。直ぐその場で欲求を満たしたいという単純なものではなくて、私はその”時”に特別な意味付けをしていた。きっと気持ちの上での執着 "Emotional attachment"なんだろう。

あちこちに自分なりの感情的な理由を着けまくっているから、断捨離がこんなに難しいのでしょう。多情な女だったのね、私。昔から人への贈り物は納得いくまでその人の立場に立って選びたかった。頂き物や買ったものは何処でどんなシチュエーションでいただいたのか驚くほどよく覚えている。モノとの出会いは人との出会いがあって始まるもの。好きなお店を見つけると、食べ物屋でも洋服屋でもそこで働いている人にも興味が広がる。そんな自分の性格がやっと把握できてきたここらで、益々これからのモノとのかかわり合いについて姿勢を正そうと思った次第。お別れする時のつらさは増すばかりだからね。もちろん人とのおつきあいも大切にしていきたい。でも無機質のモノとは違って、人は何も私が活かさなくてもみなさんすてきだから。でもモノは使って愛でて役立ててこそ活きてくる。大したタカラはないけれど、しまい込んで息が詰まっているモノたちを解放していこうと決意新たにしました。

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