2014年9月14日日曜日

Last night in Tokyo - まだかゆいぞ〜

今日、船便で段ボール10個送りました。母の衣類や思い出の品、お茶やお華の本を少しと思っているうち他に送りたい物がでてきました。額入の絵も丁度スーツケースを買ったので大きな箱がありサイズもぴったり。北米は幅1.05m、合計が2m(確か。。。)、重さ30kg以内ならOKなので結構遅れます。船便の場合10kgにするのがコツ。10kg以内だと1kg毎の料金増が大きいところ10kg以上は定額です。集荷に来た人が10個割引を知らず確認してよかった。

毛虫皮膚炎は落ち着いたかに見えましたが昨日の夜からぶり返し手首と二の腕とお腹が真っ赤でまあそれは痒いかゆい。ビールを飲むと余計に痒い、でも買っておいたエビスは飲みたい。いけないと知りつつぽりぽりかきながらひたすら荷造りとシュレッダー。

延ばしに延ばしていた書類を書き始めたら印鑑証明の原本が必要と判明。金曜日余分にとってきたのに貸金庫に間違って入れてしまっていた。。。区役所は土日は開いていてるのに祝日は休み。帰ってきてから送って果たして間に合うか?先方からの返信も本人確定郵便とやらなので日本に居ないと受け取れないらしい。気になっていても手が付けられなかったこの一件が特に時間を要するのでした。書類自体はフクザツではなく案ずるより産むが易しだったのに、地団駄を踏んでいるのはまさに身から出た錆。こんなことばっかりで情けないなあ、しっかりしろよ!

92年に英国に出てからこれほど長く日本に帰ってきたのはこれが初めてです。最後の夜は余裕でのんびりしたかったけど、しょぼしょぼする目で書類の山をひっくり返しながら、オーバーヒートしたシュレッダーが収まればひたすら書類を切り刻むの繰り返し。やっと8年前の電話料金明細にたどり着きました。忘れた頃に動き出すシュレッダーにはびっくりしちゃうけど、そのびっくり具合が大きすぎて自分で笑ってしまったり。寝不足で疲れが溜まって毛虫にやられるともう笑うしかないっ。

明日は従兄弟が成田まで送ってくれることになりました。ありがたやありがたや。そして成田近辺で仕事をしている大学時代の友人がターミナルまで会いにきてくれる事に。彼女のお母さまも今闘病中です。おばあさまを去年無くして肉親を送る辛さをまだ噛み締めている中で今度はお母さまとは。緩和ケアの施設に移られたばかりと聞き生老病死、愛別離苦は避けて通れないといえども心が震えます。

母に会いたい。会いたくて会いたくて仕方がない。もう何年も会っていない気がするのに未だ2ヶ月ちょっとなんて。8年前の電話料金明細を見つける前に私が母に出した手紙がいくつか出てきました。そして母が45年務めた大学を引退、私が大学を卒業する前年の夏に行った欧州旅行のパンフレットやいろいろも。搭乗券もツアー料金の領収書もお土産に何を買ったかも全部残っていました。あの旅行で私は好き勝手放題して、夜は母におやすみを言ってから一人でパリ、ローマ、ジュネーブ、ロンドンと出歩いていていました。行く先々で友達ができて楽しかったけれど、どれだけ心配をかけたかなあ。今なら痛いほどわかります。そして私が母に宛てた手紙がなんと稚拙だったことか。言葉遣いも生意気で上から目線だったり自分を正統化ばかりしていて顔から火が出ます。そんなものでも受け取った日付を封筒に書いてきっと全部とってあるのでしょう。やっとここ数年、自分の誕生日にまともなお礼の手紙を書けるようになってきた(遅すぎるっつーの)のに。
そしてこんな紙も見つけました。ハイライトは母がつけたのかどうかわかりませんが、亀が緑になってる所がかわいくて、オレンジの四角のなかには「人生万才」とあります。

今朝いつもの浜辺に散歩に行きました。とても久しぶり。以前は毎朝行っていたのに今回は3ヶ月半もいて三回目。

いつのまにかコスモスはもう終わりにさしかかっていて、雲は夏の名残を残しながらも風はすっかり秋でした。


母と行った海苔のふるさと館も変わらずそこにあって。
散歩から帰ると母が丁度階段を下りてくる時間だったなあ。一緒にお茶を飲んだあの朝が懐かしくてたまりません。
深夜でもあんなにうるさかったミンミンゼミの声が今はコオロギに変わっています。心配だったけれど最期の毛虫騒動を除けば、この夏無事乗り切ることができました。

草花の名前を沢山知っていて、色で言えば紫と緑が好きだった母をことさら恋しく憶う最後の夜です。

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