2014年7月13日日曜日

過ぎ行くとき

限られた親族のみで母を見送って一週間になります。無宗教なのでお通夜もなし。前日に母は会場に入り、私はメイク直しをしました。病院では入れ歯を外すよういわれ、そうするとどうしても口元が若干歪んでしまいます。葬儀担当の方いわく、今は外さなくてもいいといわれ後悔しましたが時既に遅し。しかし安置所に落ち着いた次の日、担当の方が私に言いました「お口もときれいに直されましたね」と。ドライアイスの交換で行ってくださった時には口元がきれいになっていたので、私が面会に行って直したとばかり思っていたと。しかしその日はその方との打ち合わせが面会時間と重なったので安置所には行けませんでした。だから本人ががんばったとしか思えない。会場ではゆがみが全くわからないほどでした。最後までヘアスタイルを気にかけ病人っぽい服装を避けていた母、私なんかよりずっとお洒落心があり、最後まで女性として立派でした。

棺の回りを生花で飾り、それらはすべてお見送りの時に体を包みました。大好きだったユリ、トルコキキョウを主に、あじさい、ばら、旬の花々とグリーン。色白でやせ細る事もなかった母のおだやかな顔は、花に囲まれて乙女のようだったのを思い出します。
昨日は母が最後まで気にかけていた墓地の名義変更や納骨の打ち合わせを終えました。母は初婚で実子は私のみ、父は病気で亡くなった前妻との間に5人の子供がいる(一人は既に他界)ので、私には父を同じくする二人の兄と姉がいます。去年母とアメリカに遊びにきてくれたのは姉二人です。命日となった7月2日はワインカントリーで一日を過ごしました。実はその日の写真を遺影に使いたいと本人も希望していたのですが、解像度が低かったので別の写真を選ぶことになりました。しかしそのときの写真(昨日載せたもの)はご挨拶の葉書に収まりました。いろいろなことをきちんとしたい母らしいなあと思います。

ついでにもう一つエピソードを紹介します。体も気力もキツくなってきた6/30。夕方にカレンダーを見て母は言いました。
母「1月30日」
私「うん、お誕生日だよね?」
母 頷いて「6月30日。ちょうどいい。」
私「何が?(わかってたけど。。。)」
母「1月30日、6月30日。覚えやすくていい。」
私「え〜、それなら7月30日のほうがもっといいよ、丁度半年だし。それまでがんばって」
母 困った笑い顔で「ちょっとそれは長いねえ」

整理整頓が上手で、なんでもきちんとしていた母。その前の辛い日々を含め、もう準備はできているという潔さを感じました。それでも体力はあるし、まだまだ温かい手を握りながら、7月30日を迎えられると私は信じていたのですが。

もう一つ余談ですが、母が整理整頓が上手なのをなんで引き継げなかったのかなあとダニーに漏らしたら「今がいい時だよ、もらいっ子じゃないか聞いてみたら?」と言われたので大笑いして、実際母に聞いてみました。そしたら本人「そんなことないわよ、なんでダニーはそんな事聞けというの?」と真面目にとってしまいました。冗談だよ〜と伝えたら笑いすぎて咳き込んでしまい、ダニーに寿命縮めないでよ!とふたりで抗議(苦笑)しました。

昨夜は母が最後まで気にかけていた懸案事項が片付いたからか、途中で目覚めたものの、通算12時間の睡眠を達成、快挙です!

話は遡りますが、木曜日には母の法名をいただきにお寺にも伺いました。亡き父とのご縁でつながっている桜木町のお寺には、私が海外にいることもあり今後定期的な法要が営めるかわからないと正直にお話ししました。その上で快くお受けくださりほっとしました。
遺影の笑みをよく覚えていてくださったご住職から、自然体で「和顔愛語」の姿を皆に印象づけた母らしい法名をその場で頂戴し、初七日の読経と心温まるお話もいただけて、私一人ではもったいない時間でした。

お見舞いをというご友人もお断りして、全ては事後のご報告で済ませることと強く言われていました。やっとご挨拶の葉書も投函し、徐々に母のご友人たちからも連絡が入る事でしょう。最後まで自分のやり方を通した母。それも回りの負担を軽減するということが第一にあったように感じられてなりません。

最後にダニーとダニーのママが送る会に寄せてくれた言葉を載せます。もともとこのブログは、私の何気ない日常を母に知ってもらうために始めました。その内にいろいろな人が遊びにきてくれるようになり、今は私の中で備忘録だけではない大切なものとなっています。母と私を励ましてくれた全ての人々に感謝の気持ちをこめて。これからもよろしくお願いします。

ダニーより
今日皆さんと一緒にお見送りできなくて残念ですが、四十九日にはご一緒したいと思っています。
この5週間、電話が鳴るたび心臓がどきどきして、メッセージを確認してはほっとしたり心配したりを繰り返していました。そして数日前、ついに恐れていた知らせがやってきました。「お母さんは逝ってしまった」と。
言葉の壁と文化の違いを越えて、私はお母さんのことが大好きになりました。一緒に旅行をしても、いまここが考えたハードスケジュールにお母さんはついてきました。どこでも寝られる特技が助けになったのかもしれません(笑)。お母さんは私たちと同じく美味しいものが大好きで、一流のおせち料理からカリフォルニアでドライブの途中に食べた紙皿いりのクラムチャウダーまで喜んで召し上がりました。お母さんはいつも、とても素敵な優しい笑顔をしていて、これからその笑顔が見られないのが淋しいです。そして何よりも、お母さんの笑い声が聞こえなくなるのがたまらなく淋しいです。

いまこことお母さんは殆ど毎日、スカイプで話をしていました。だからカリフォルニアのわが家では、毎晩お母さんの明るい笑い声が響いていました。これから私たちのそして皆さんの家でも同じように、この笑い声が消えて、少し静かになって、少し幸せが薄れることでしょう。

最近思い出したことがあります。アイルランド語では、誰かが亡くなった時にこういいます。「エア シィリー ナ フィアリンガ」「真実に向かう途中」という意味です。お母さんの「真実への旅路」も、この世界で重ねた数々の旅のように、幸せに満ちたものであるようお祈りしています。

ダニーママより
親愛なるいまここ、本当に残念でしかたありません。私があなたのお母さんをどれほど好きだったかよく知っているでしょう。彼女は本当に特別な人でした。彼女とお知り合いになれて私はとても光栄です。彼女は素晴らしい笑顔をしていて、いつも穏やかで平和に満ちた空気を漂わせていました。彼女ほど回りを優しく安らかな雰囲気に包める人はそういません。あなたに、そしてご家族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。

いまここ、あなたが今、親愛なるお母さんが苦しみから解放されていることを喜んであげられていますように。最期の時にあなたは彼女のそばにいて、どれほど安らぎを与え慰めてあげられたことか。この世を去り、次の世界に向かう人に寄り添い助けること以上に、愛に満ちた行為はありません。あなたの家族や友人たちが、あなたのその愛と勇気に満ちた行為を私同様に感謝していることを望みます。

私はあなた宛の手紙もダニーに託しますね。どうかあなたがクリスマスに私たちのもとに帰ってこれますように。沢山のハグがあなたを待っていますよ!
それまでどうかあなた自身を大切にしてください。この大変な時期を乗り越えているあなたはいつも私たちの心の中に、祈りの中にいます。
愛を込めて エイリーン

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