つかれたら眠る。目がさえたら気になることを少しずつやる。こんな生活なので、昨日は整体からもどって7時前にご飯も食べず寝たら起きたのが 12:12 am。役所に行く準備をしたり、お礼状を書いたりしていたら、もう外が明るくなってきました。
母訃報のご挨拶葉書を出してから、多くの方々からお電話を頂いたり、お参りを受けたりしています。
みなさんがそろえて口にするのは驚きの言葉。健康管理をしっかりして、活動的な毎日を過ごしていた母は彼女を知る人全てにとって理想の姿だったようです。
最期も入院生活が一ヶ月、本当につらかったのは数日だったと知って、残念だけれど母らしいと言って下さいます。
女学校時代からのお友達、月一度の巣鴨参りのお仲間達、亡き父とも縁が深い方々、習い事の先生や生徒さん達。こういった方々がたくさんの思い出話をシェアしてくれます。
母は昔も書道を習っていましたが、ペン習字は今年で10年目。最後に行ったクラスで具合が悪くなり、その後検査入院した母を先生はずっと心配して下さっていました。帰国後まもなく月謝をお中元と共に届け入院が長引いている旨を伝えたら、先生は通常年末近くに発行される表彰状を協会にリクエストして前倒ししてもらって記念品と共に病室に届けて下さいました。一昨日は霊前にお参りに来てこんな話をして下さいました。
ある日、教室申し込みのメッセージが留守番電話が年配の方の声で入っていた。特に10年前だったし年配の方は留守電だと切ってしまう人が多かったのでびっくりした。そしてクラスにやってきた母は、6ヶ月前から申し込みをしようと思っていたけれど忙しくて延びてしまったけれど、とても楽しみにしていたのでこれからがんばって通います このお稽古を始めようと思ったのは、今はプールなど運動教室も通えているがいずれ体は衰えるはず。その時でも手は動くだろうから後年でも出来ることを習いたいと意欲に満ちた声で伝えたそうです。なんて好奇心に満ちて積極的に人生を楽しんでいる方だろうと思い、その姿勢は先生(60代半ばくらい )や他の年配の生徒さん達のあこがれだったそうです。
午後1時から7時までやっている教室は、早めは年配の方々、その後小学校低学年からの生徒さんがやってきます。だから午後早いうちはのんびりおしゃべりを楽しむ時間もあり、無口だと思っていた母も結構話していたようでした。
そういえば以前、小学生の男の子に「いくつ〜?」って聞かれたから、「いくつだと思う?」「わかんない」「ぼくはいくつ?」「7歳」「わたしは88歳」「へ〜っ、僕より11倍以上長生きなんだ〜」と言われたと話していました。家で練習はしなかったと自己申告していたけれど、楽しく10年続いたお教室通いで、いろんな出会いがあってよかったね。
昨日は中国体操の教室に体験入学させてもらいました。これは治療に通いだした整骨院が主催している医療保険体操で、しっかり2時間やったらかなりいい汗かきました。母が通っていた火曜日は生徒さんが少なくて、よく先生と二人だけと言うこともあったそう。私より若い美人先生は、母とはなぜかとても気があったそうです。年の差はもちろん開いているけれど、おばあちゃんという感じではなくて人生の先輩として話を聞くのが楽しみで、たくさんの話をしたと。そして一緒にいるだけで心が落ち着いたと言ってくれました。波長が同じで前世できっと深いご縁があったに違いないとも。この先生はチャクラヒーリングや気功もやる方なので、言葉にはできない何かを母との間に感じられていたようです。
そしてさといもこと私の妹分は、母を二度も病院に見舞ってくれました。本人も最愛のお母様を2年前、5年の看病を経て同じ病気で見送っています。当時の食欲もあって顔色もよかった母の完治を心から信じてくれた一人で、私が席を外しているときの母との会話を今もよく話してくれます。私を産んでよかった、私がこんなにやさしい心遣いができる大人になっていて、こうして一緒に過ごせることがどんなに心強くて嬉しいかと話していたこと。いつも帰る前に「さといもちゃん、いつまでもいまここと仲良くしてね」といわれ「こちらこそ」というのが精一杯だったこと。お見舞いに来ているのに帰る頃には、母の笑顔とつつみこむ存在感に自分が癒され、自分のネガティブな感情や悩みが薄れて、前よりも優しい人間になったような気になったこと。
母が私に直接かけてくれた言葉もあります。でも今こうして多くの人達から届く声は、へこたれそうになるときに特に響いてくる。そのタイミングには感服。
さて、今日も暑い一日になりそう。資源ゴミを出して、必要書類を書いて、役所に行って。一回 330円で利用できる区のジムにも行った後に昼寝でもするか。
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