2015年3月1日日曜日

日常へ

時間がかかったけれど何となく日常が定まってきました。規則正しい生活とか仕事ととかそういう日常に縁深いものが定まったわけではありません。ただやっと戻ってきた実感というか、こちらでの生活に能動的に対応し始めたというか。ここ10日ほど忙しく余裕がなかったのが幸いしたか。自分でストレスを作り出すのはよくないけれど、のんびりしすぎて現実から逃げていたのかもしれません。

先日は長年の友の義理のご両親のお葬式でした。お義母さんがベイエリア出身なのでこちらでもセレモニーがあるとのこと、友人夫妻は家に泊まって私たち四人で参列しました。
南でのセレモニーに行けなかったので最後のお別れができてよかった。私もお義父さんが操縦する飛行機に乗せてもらったこともあります。別れは本当にある日突然やってくる。当たり前の事を受け止めるしかない。そう思いながらお別れをする時間がなく突然さよならをしなければならなかったご家族を思うと何とも言えません。友人夫妻はそんな中、他の親族とも密に連絡を取りながら複雑な事務処理をこなしていて立派です。

もっと違う理由ならよかったけれど、彼らを家に迎えることで私のやる気はオンになったようです。足掛け3日だけれど、何を食べてもらおうか考えて買い物をする、料理をする。こういう日常の行為に没頭することで体が生活のリズムを取り戻しました。

お葬式後、友人と山歩きへ。いつぶりだろうか、この眺め。森はそのまま変わらずに私たちを迎えてくれました。12キロの道を歩きながら私はここに頭を空っぽにするために来ているのだと思い出しました。
夜は近所の映画館で、みんな時に船を漕ぎながらも映画を観たり。
週の後半は前の会社の集まりがありました。これも時期がずれていたら参加できなかったイベント。帰国のタイミングは多くの意味で絶妙でした。出かけてみたら200人近くの人が集まっていました。元CEOを始め一緒に日本に出張に出かけた人たちと懐かしい話題に事欠きません。目まぐるしく変わるITの世界でみなキャリアを磨いていて活き活きしていました。部署は違っても同じ目的で一丸となって仕事をしてきた仲間だから時を経ても違和感なく話が弾みました。
 
他にもしばらく会えていなかった友人たちと、ランチや散歩を一緒に楽しみながらここ一年弱の様々な出来事をシェアしました。
北海道のモエレ公園を思い出させる公園は同じくゴミの埋め立て地 SFや対岸のオークランドまでよく見渡せま
週末はプロジェクトで一緒だった仲間たちとの集まりもあって、ここでも日々がんばっているみんなの話を聞くことができました。
あたりまえのことだけれど、すべてが変化している。日々の常々もしかり。

帰ってきた時は丸坊主だった薔薇たちも新しい葉を伸ばし、球根からは立派な花が咲き始めました。

2 件のコメント:

  1. 悲しい行事の合間の「贅沢な時間」が過ごせました。本当にありがとう。

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    1. こちらこそ。その後も時間の流れるスピードは変わっているでしょう?無理せずにね。

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