2015年3月10日火曜日

London 2015 Day 3

下書きのまま放置状態でしたが2ヶ月遅れでロンドンの日々を振り返っています。

1/5はロンドンらしい薄曇りで、以前暮らしたエリアを巡ってみました。ブリックストンは昔と比べると垢抜けて駅前のデパートはお洒落に様変わりしていました。
デパート内の階段のライトパネルには著名人とブリックストンの関わりが紹介されていました。デビィットボウイはブリックストン出身です。
エディグラントのヒット曲で有名になったElectric Avenueとランベスコモン 
昔暮らした家の面影は全く変化なし。1895年に建てられた家だから20年そこそこで変わらないのは当たり前か(笑)。暗いうちに家を出て学校に通い、日照時間の少なさから鬱病になりお世話になった診療所はもうありませんでした。最寄り駅より南のクラパムコモン駅までの道は懐かしいお店に混じってお洒落なカフェやレストランが増えていました。
乗り馴れた地下鉄の線も車両が新しくなっていて乗り心地は格段に進歩していました。

次に降りたのはカムデンタウン。休みにはマーケットを散歩したり、水門に座って本を読んだり、行き交う人々を眺めたり退屈しない場所でした。ここに住んだ一年弱の間は辛い経験もしました。仕事を続けながらよく乗り越えた思います。次の目的地への通り道だったので思い立って降りてうる覚えの道を辿り住んでいた家まで着きました。
 
暗い思いで歩いた石畳に立ったら、自然と「よく乗り越えた。もう大丈夫。あのときがんばってくれてありがとう」という気持ちになりました。自分で残してきた想いを浄化できて癒すことができたかというか。線路下のトンネルの向こうには光があったのに全く見えなかったあの頃。「あのときがあって今がある。だからこれからも自分なりに乗り越えて行ける、大丈夫」と繰り返しながら、支えてくれた人たちや守ってくれた目に見えない存在、そして踏ん張った自分に感謝する事ができたのは大きな収穫です。

あわせて思い出したことがあります。不定期にカウンセラーに通っていた時、数回目のセッション後、バスルームの壁に好きな日本の歌の歌詞を書いてとチャコールを渡されました。真っ白な壁を前に考えを巡らして浮かんだのが「故郷」。私が小さい頃、母が好んで歌っていたのを急に思い出したのです。あのときも母にピンチを救ってもらったのかな。そのカウンセラーとはその後もロンドンから引っ越すまで思いがけない場所で出くわしたりで導かれたご縁であったことは確かです。「故郷」はメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とともに母の葬儀で献奏しました。

その日の午後は楽しみにしている予定が二つありました。まずは金融機関に勤めていた頃の同僚のお宅でお昼をごちそうになること。時間と距離は離れても今も何でも話せるかけがえのない友人です。彼女は自宅でお料理教室も開いていて、リモデルしたキッチンは対話型の素敵な空間。
 
ここでおいしい日本食とデザートをいただきました。以前会った時はまだ生まれていなかった二人目の娘さんは既に11歳で得意のジャズピアノを披露してくれてその素晴らしい演奏には感服!又会おうねと固く約束してさよならしました。

次のメインイベントはいつも楽しみに読んでいるあるブログ筆者の方と会う約束でした。何度かメッセージをやり取りさせてもらっていましたがもちろん初対面。ダメ元でクリスマスのダブリンから、年明けロンドンに行くのですがお会いできませんか?メッセージを送ってみました。ブログ読者とは会わない主義といわれても当然と思っていたから、お時間いただけることになって嬉しかった!なぜかこの方とはいつかどこかで会えるかもしれない思っていた私。だからずうずうしくもお誘いできたわけで思い立った自分、よくやった!
アーティストとして活躍中のお忙しい中、ビール飲みながら多くの話題に花が咲きました。販売している作品を友人たちの分までお土産にいただいてまたまた感激。これからもご活躍心から応援しています。

友人宅最後の夜には持ってきた日本米で鮭とキノコのミルクピラフを作りました。お焦げをとっても喜んでくれて作った甲斐あり。レシピをブログに書いとく便利です。

ワイン通のCが開けてくれた白ワインは2004年もの!
二人の子供たちが寝たあとゆっくり大人の時間が流れて行きました。 CとNが家に泊まってと誘ってくれなかったらホテルに籠っていたはず。二人のお陰で久しぶりのロンドンで沢山の経験ができました。感謝。

2 件のコメント:

  1. お姉ちゃん、あの時があって今があるって思えるようにがんばる。たとえ今が苦しくても。がんばる気持ちになれた、ありがとう。

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    1. さとちゃん、いつもコメントありがとう。そう、辛い事もあとでいい思い出になるんだよね。

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