終戦記念日に日本にいるということは、普段考えない事に思いを巡らせることになります。テレビでは8月15日が何の日だか知らない、日本が戦った相手がどこだか知らない、日本の味方として戦った国は?という質問に「アメリカ」と答えている若者たち(20代)の姿が映されていました。
仏壇近辺を整理していたら、父の入院から葬儀前後のもろもろを見つけました。当時は兄姉たちも現役だったので弔問客も数百人を越えた大きな葬儀でした。アルバム、弔辞弔電の束、そのあとに受け取った手紙などなど。私も母の関係書類をファイルしてましたが、全く同じように整理されていて笑ってしまいました。特におかしかったのが病院の食事メニュー。私の方がよりスペースを多く使ってましたが、19年間、病院メニューのプリント様式はほぼ同じ。左が父の、右が母のです。
父は航空参謀として終戦を迎えました。本棚には当時を振り返る書籍や当時の写真のアルバムなどがまだあります。活字になってしまった物はどこかピンと来ず、もっと生の声を聞いておけばよかったと悔やまれます。
それにしても昔の人は達筆でしたね。毛筆の流れるような手紙ばかり。私もお礼状を書いているうちに、ヘタなりに格好がついてくるようになりました。縦書きって新鮮です。
ダニーが帰ってリズムが緩んで落ち着きません。ま、仕方ない。落ち込んでいるとか鬱になっているとかではなく、ただそこはかとなく落ち着かないだけ。お腹が空いているのにまた食べたい物がなくなってしまった。人生で楽しめる食事の数は有限と常々思っている身としてはもったいないことです。
今日も暑かったけどエアコンなしで過ごしました。夕方になり、さっぱりしたくて洗面台に前屈みになって髪を洗っていたら、ふとやなせたかし氏の詩を思い出しました。絶望のとなりに誰かがそっと腰かけた 絶望はとなりの人に聞いた あなたは一体誰ですか となりの人は微笑んだ 私の名前は希望です
この詩には小学校6年生の時に絵本で出会い暗記していました(だから文字使いは違うかも?)。絶望なんて言葉面しか知らなくても、うつむき頭を抱える青い影(たしかそんな絵)に静かで深い悲しさを感じたのを覚えています。そして希望という正反対の状態が背中合わせにある、というかお互いがあるからお互いが存在しえる不思議さを感じました。本はイギリスにも一緒に来て今もアメリカの家にあるはず。
いまなぜ思い出したのだろう。シンクで洗髪=病室に泊まり込んでいた日々=夕方の悲しさ=青い深い淋しさ=この詩。こんな感じかもしれないな。すてきな詩です。
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