2014年8月2日土曜日

一ヶ月

家は何も変わっていなくて、母が居た証拠は今もあちこちにあってこれからも変わっていくことが信じられない。変えたくないのではない、執着もしていない。でも片付ける気力が湧いてくるとは思えない。他人事のように、今は自分が家を片付けるということが理解できない。

またまた暑い一日でした。午前中でも室内で30℃を超え、昨日はクーラーなしでがんばろうとしたら途中意識が朦朧としてきました。今日は11時よりスイッチオン。冷えてきた室内でもやる気はでてこず。結局午後は5時間も寝してしまった。夜の睡眠時間より長い。ま、いいか。
7月1日の朝から鎮静剤は飲み薬から注射によるミダゾラム点滴に変わり、それから結局一日強で旅だった母でした。効き目をみながら少しずつ増えていく量。
薬をやめることはもうない。意識があるということが苦しいのだから。そこまでわかっていても実感が湧かなかった。
一日の朝ご飯は母と私の大好物ばかり。鯖の塩焼きに納豆。もう食べられないとはわかっていたけれど声をかけました。目を開けた母の顔が「あなた食べなさい」言ったのでしっかり食べました。
コインランドリーに行く時間ももったいないので、レンタルパジャマの契約をしようとした朝、おむつになって翌日。おむつは結局一枚しかいらなかったね。そしてこの期に及びテーブル横にこんな便利なタオル掛けがあることを発見。まったく33日間どこをみてたんだか!

7/1は一日中母の様子を見て辛そうなら看護師さんを呼んで薬の量を増やしてもらい、O2レベルや脈拍や血圧に一喜一憂する。
7/2の朝、マックスレベルまで到達。

午後3時、母は安置所に落ち着きました。夕方には母とよく一緒に楽しんだ温泉へ。平日の夕餉時はがらがらで貸し切り状態でアカスリが気持ちよかった。
一昨日はお墓へ。名義変更やら納骨の手はずやらでいろいろ。空はどこまでも高くて緑は色濃くて。この炎天下で当日ダニーは耐えられるのか。またしても不安になりました。
その夜は北海道から出張に来ていた大学時代の先輩と会いました。会社の重役となった先輩と会うのはそれこそ25年ぶりくらい。彼のビジネスディナーが終わってからだから時間はあまりなかったけれど、母を知る人と母の話をすることが一番うれしく、かなしい。でも最後は必ずハッピーになれます。四十九日まで魂は地上にいてくれるらしい。今は天国に行く準備をしていていそがしいのか枕元には立ってくれません。でも母のお友達から電話をもらったり、懐かしい人と絶妙なタイミングで会えて母の話を笑顔でできること。これは母の力添えだな。
お位牌もできてきました。父と同じスタイルで上品な満足の仕上がりです。
もっともっとと思う度、母が書いた俳画「知足」を見て反省しているけれど、まだまだしょっちゅう同じ事を考えてしまいます。

今日は近所の神社の夏祭り。敏達天皇の時代に創建され延喜式にも載っている歴史在る神社だと初めて知りました。
独特な夏の夜の匂い。漆黒に浮かび上がる提灯の明かり。今は2014年だけど本当にそうなのかな。ま、長い歴史からすれば西暦500年も2014年も短いこと、人の一生なんてその中のほんの一瞬、だからこそ有り難い。

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