2014年12月17日水曜日

89年分の片付けと49年分の棚卸し

これをやっているのだから、時間はかかるわな。。。
母の残したものに触れるのは嬉しい発見に満ちています。年末にかけてさみしい気持ちは募るけど「もうできない」と口に出したのも気持ち的に辛いから。

週末は粗大ゴミを出し、可燃ゴミの日には20年分の確定申告をシュレッダー袋にて廃棄。
血圧手帳の一部。よくとってありましたねえ。
自分で人生の舵取りを担ってきた母。母と面識があった取引先の人々やだれもかれもが又最近「素晴らしい方でしたね」と話すのを聞く機会が多く心から誇らしく思います。
父の遺品の数々も母は保管していました。晩年はかぶる事もなかった帽子やメガネから勲章や軍の辞令やらは姉の家に落ち着きました。


 
裏庭の物置には買い置き水4ケースと一緒に2011年3月13日から一ヶ月の新聞も束が出てきました。確か3/11と12日の新聞はアメリカで受け取った記憶があります。各部屋に避難袋を用意していた母の震災を教訓を忘れずにという思いを見た気がしました。それにしても当時の円高は強烈でしたね。4年弱でこの変化にますます驚き困惑する今日この頃。
アイルランドには来週火曜に出発します。それまで出せる可燃ゴミは後二回、資源ゴミは後一回。効率よくと焦りつつ家を空っぽにはできないからと開き直ってみたり。

留学時代の卒業式にかぶった帽子やプロムに着たドレスまで。思い出をありがとう、そしてさようなら。
自分が残してきたモノがハンパじゃない。小学校の作文帳、卒業時のサイン帳、中学での交換日記や自分の日記、サークルでまとめた文集などなど。おそるおそる読めば寮生活の中学時代は週末も部活の試合で家に帰らず。高校は反抗期まっしぐらそして留学。大学時代は家に帰らない日も多く学校とバイトとバイク三昧でした。一人旅の模様などは懐かしかったな。当時はささっと何でも決めて一人でどんどん行動していました。勉強と自分の周りの狭い世界だけに心を配り、教育を受けられることや毎日ご飯が食べられることなんて当たり前と思っていたあの頃、赤面。。。
フォトジャーナリズムに興味があったので理論や暗室技術の本も出てきました。いまここにいるのはあちらに進まなかったから。後悔とは違う、うまく表現できない思いがあります。暗室道具一式は処分して、引き延ばし機は年明けの粗大ゴミかな。写真集のたぐいも古本引き取りに出しました。

余談ですが、ある時昔のボス(数社の社長を歴任したシリコンバレーのエグゼクティブ)に印象に残った映画は何ですか?と質問したらNケイジ主演のFamily Manとの答えでした。この話は社会的に成功した独身の銀行家がある日目覚めると昔のガールフレンドと結婚して子供がいる人生にすり替わっていて戸惑いながらも幸せを見いだすというもの。あの時あの道を選んでいたら?と思いを馳せることは誰にでもあるよね、と話していた彼の笑顔をなぜか思い出しました。

最後のお化粧に使った口紅もファンデーションも引き続き使っていましたがもうすぐ終わり。歯磨きができなくなった入院後期に使い出したマウスウォッシュも空になりました。受け継いだモノたちの使命(大げさですが)が終わるのを見届けることは「無駄」に心を痛めた母の供養になるような気がします。時間も大きな味方です。

こう書くと片付いてきたようですが乱雑なままの部屋は心の乱れを映しているのか。今日も今年最後の体操教室に行く予定が気がつけば夕方でした。整骨院の先生曰く家には念が蓄積しやすく、自分の思いと感じていたのが実は違うところから来ている場合も多いとか。私自身は片付けられないのは100%自己責任だと受け止めています。祖父母や母は私ががんじがらめになるのを望んでいるはずはないので。動けないことに以前は罪悪感しか感じられませんでした。でも今はそれを静かに受け入れ見つめる自分がいます。うまく説明できないけれどただの諦めとは若干違う心境の変化を観察中です。

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