2014年12月17日水曜日

思うこと

ブログやソーシャルメディアに食べ物の写真を載せるからか、私は料理上手と紹介されて恐縮することが多い。お弁当の写真が印象に残るようでそこから話が弾んだりして、それ自体は素直に嬉しい。

そこでふと思う。日本では外食続きで料理を殆どしなかったことを。実家の台所は使い勝手が悪いなんてことも口にしたと思う。母が毎日の献立に悩んでいると聞いて、たまにメールでレシピを送ったけれど、作りやすいメニューをまとめるねといって実行できなかったことを。

美味しいものでみんなを笑顔になんて理想をかかげ、食材選びや出汁引きにこだわながら一番に食べてもらいたかった人はもういない。キッチンの棚の上にある本立ては私が小学校6年の時に図工で作った物で母の好きなユリの花が掘ってある。そこにある切り抜きファイルやかんたんレシピ本を見て母に食べてもらいたかった料理が次から次へと浮かぶ。TVや雑誌で見た話題のレストランやシェフの情報を書き留めておいてくれていた母とまだまだ一緒に美味しい笑顔をシェアできると思っていたあの確信はどこから来ていたのだろう。病室でお見舞いにもらった高級プリンやゼリー、コンビニで手当たり次第仕入れた新作スイーツを半分こして食べたときの笑顔が懐かしい。
どうしようもない悲しさは時間がいつか癒してくれるだろう。でも自分の行動/非行動の結果が生み出した大きな影が時折眠れない夜を運んでくる。

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