大切な友人であり元上司でもあるO氏が亡くなりました。癌と戦いながらも最後は苦しまずに静かに現世を後にされました。
O氏と知り合ったのは大学卒業直前の春休み。私は友人に頼まれて、香港から来た女性の旅行者を一日案内することになり、はとバスを利用しました。同じバスに15人ほどの外国人グループが乗り合わせていて、そのリーダーがO氏でした。ツアー中に話をしたわけでもなく、バスは解散場所の赤坂田崎真珠前に到着。私は東京タワーの下で撮影したグループ写真を記念に買おうとガイドさんを呼び止めました。しかしお財布には一万円札しか入っておらず、千円の写真2枚の代金のお釣りがないとのこと。土曜日の昼さがり、そのころはその近辺にコンビニも見当たらず、私は途方にくれていました。
すると、横から「これ使ってください。」と千円札2枚を握った手が。驚いて見るとO氏が笑顔で立っています。「え、いや、でも。。。」と辞退する私に、「いいから、いいから!どうぞ。」と半ば押し付けるようにお札を私の手に握らせました。とりあえずガイドさんから写真を2枚受け取って周りを見回しましたが、O氏の姿は忽然と消えています。「そんなすぐに消えるわけない、あのグループと一緒に!」とあわててきょろきょろすると、走り出そうとするホテルのマイクロバスの窓に同じグループにいた外国人の顔が見えました。あわてて駆け寄ってドアを開けてもらうと、一番前にO氏が座っているのが見えました。半ば強制的に彼をバスの外にひきずり降ろし、名刺をもらいました。O氏は国際会議の企画運営会社を経営していて、これから1ヶ月は世界中から招聘されたビジネスパーソンの研修に同行しているとのこと。翌日は秋葉原に同じグループを案内するのでよかったらどうぞと誘われて、私はお金を返す目的もあって翌日銀座のホテルでグループと合流しました。
無事お金も返して、秋葉原や上野を案内して楽しい一日を過ごし、春休み中、O氏の仕事をアルバイトで手伝うことになったのです。実は大学院留学を考えていたのですが、国際会議の企画運営の面白さや、さまざまな背景のビジネスパーソンやアカデミックな人たちに日本を紹介するという仕事がとても刺激的に感じられ、そのままO氏の会社で働かせていただくことになりました。小規模の会社で何でもやらせてもらえたこと、国会議員、学術関係者、企業家など違う業界の第一線で活躍する人たちとの交流、欧州、北米、アジアなど多地域からの参加者で成り立つプロジェクトの運営、それらを毎日生きた英語を使って行うこと、とにかくすべてが刺激的でした。会議前や会議中の徹夜は当たり前。泊り込みの日々も上司であるO氏のがんばる姿を目の前に見たから少しも苦になりませんでした。
勤務5年後にロンドン留学が決まったときも、気持ちよく送り出してくださいました。卒論に必要な資料を大量に送ってくださったり、短い日照時間でウツ気味になったときも、笑える話を集めて送ってくださいました。おいしいものが大好きで、おしゃれで、物持ちがよかったO氏。ロンドンのお土産に送ったカシミアのコートは袖口が擦り切れても何度も修繕して大事に着てくれました。ロンドン暮らしがアメリカ暮らしに変わっても、東京に帰るたびにお気に入りの蕎麦屋に成田から直行して待ち合わせましたね。ざるそば大盛りを二人で4枚ずつ平気で平らげたり。食べ物にまつわる武勇伝(?)は書ききれないほどあります。
O氏と知り合ったのは大学卒業直前の春休み。私は友人に頼まれて、香港から来た女性の旅行者を一日案内することになり、はとバスを利用しました。同じバスに15人ほどの外国人グループが乗り合わせていて、そのリーダーがO氏でした。ツアー中に話をしたわけでもなく、バスは解散場所の赤坂田崎真珠前に到着。私は東京タワーの下で撮影したグループ写真を記念に買おうとガイドさんを呼び止めました。しかしお財布には一万円札しか入っておらず、千円の写真2枚の代金のお釣りがないとのこと。土曜日の昼さがり、そのころはその近辺にコンビニも見当たらず、私は途方にくれていました。
すると、横から「これ使ってください。」と千円札2枚を握った手が。驚いて見るとO氏が笑顔で立っています。「え、いや、でも。。。」と辞退する私に、「いいから、いいから!どうぞ。」と半ば押し付けるようにお札を私の手に握らせました。とりあえずガイドさんから写真を2枚受け取って周りを見回しましたが、O氏の姿は忽然と消えています。「そんなすぐに消えるわけない、あのグループと一緒に!」とあわててきょろきょろすると、走り出そうとするホテルのマイクロバスの窓に同じグループにいた外国人の顔が見えました。あわてて駆け寄ってドアを開けてもらうと、一番前にO氏が座っているのが見えました。半ば強制的に彼をバスの外にひきずり降ろし、名刺をもらいました。O氏は国際会議の企画運営会社を経営していて、これから1ヶ月は世界中から招聘されたビジネスパーソンの研修に同行しているとのこと。翌日は秋葉原に同じグループを案内するのでよかったらどうぞと誘われて、私はお金を返す目的もあって翌日銀座のホテルでグループと合流しました。
無事お金も返して、秋葉原や上野を案内して楽しい一日を過ごし、春休み中、O氏の仕事をアルバイトで手伝うことになったのです。実は大学院留学を考えていたのですが、国際会議の企画運営の面白さや、さまざまな背景のビジネスパーソンやアカデミックな人たちに日本を紹介するという仕事がとても刺激的に感じられ、そのままO氏の会社で働かせていただくことになりました。小規模の会社で何でもやらせてもらえたこと、国会議員、学術関係者、企業家など違う業界の第一線で活躍する人たちとの交流、欧州、北米、アジアなど多地域からの参加者で成り立つプロジェクトの運営、それらを毎日生きた英語を使って行うこと、とにかくすべてが刺激的でした。会議前や会議中の徹夜は当たり前。泊り込みの日々も上司であるO氏のがんばる姿を目の前に見たから少しも苦になりませんでした。
勤務5年後にロンドン留学が決まったときも、気持ちよく送り出してくださいました。卒論に必要な資料を大量に送ってくださったり、短い日照時間でウツ気味になったときも、笑える話を集めて送ってくださいました。おいしいものが大好きで、おしゃれで、物持ちがよかったO氏。ロンドンのお土産に送ったカシミアのコートは袖口が擦り切れても何度も修繕して大事に着てくれました。ロンドン暮らしがアメリカ暮らしに変わっても、東京に帰るたびにお気に入りの蕎麦屋に成田から直行して待ち合わせましたね。ざるそば大盛りを二人で4枚ずつ平気で平らげたり。食べ物にまつわる武勇伝(?)は書ききれないほどあります。
病室に入る全員が一度はトライしなければならない「眉毛とひげが動くメガネ」。一番似合っていたのはO氏ご本人でした。
長引く入院生活の中、病状が悪化した9月初旬。受けたニュースは今日明日どうなるか、今月一杯も難しいかもしれないという厳しいものでした。すぐに帰国の手配をして成田から病院に向かいました。もちろん「一人気ままに秋の日本を楽しみに帰ってきました!」という元気な顔で。お土産のワインも今は飲めないけれど喜んでくれて、年末にダニーと一緒に行こうとお気に入りの料亭の予約までしてくださいました。仲間とおいしい食べ物を囲むことが何より好きだったO氏。皆が元気を取り戻したO氏を迎えての食事会を日本各地で企画していました。日本に帰った10日間、一日を除いて毎日、笑いの絶えない病室でいろいろな話をしました。お医者さんの厳しい見立てが本当なのか?と思うほど元気に見える姿で、荒れた胃にもやさしい豆のペーストや寒天デザートは喜んで食べてくれました。また年末もきっと会える!と確信できるような笑顔で送り出してくれたのに。
どんな小さなことにも全力を尽くす姿。さりげない思いやりを誰にでも持てる寛大さ。失敗は自分のも人のも責めることなく、そこから常に学んでいた人。O氏の姿からは、対象が何であれ、いつも一期一会の精神が感じられました。この人と、この仕事と、この状況と、時を共にしている。それは、いまここだけのこと、だからpreciousなんだと。O氏の思いや言葉や行動の根底には、いつもあふれる感謝とやさしさの泉がありました。そんなO氏と地球でのひと時を一緒に過ごさせていただけたことに感謝の気持ちで一杯です。
Oさん、亡くなられたのですね。
返信削除元上司というのは聞いていましたが、まさかこういう縁で知り合いになったとは知りませんでした。とても素敵な人だったようですね。自分の人生に大きな影響力を与えてくれる人との出会いは、そう簡単にあるものではありません。そんな縁を引き寄せたのは、imakokoさんの持つ魅力とオーラの力もあったのでは、と思います。
これからもOさんは、imakokoさんの心の中でずっと生き続ける人だと思います。先月日本に行けて本当に良かったね。ご冥福をお祈りします。
温かいお言葉をありがとう。
返信削除O氏との出会いはすばらしいごでした。難しいプロジェクトに取り組むときは上司ならびに同士であり、おいしいものを食べるときはグルメ友達であり、相談事では頼れる年上の人であり、ごくたまには私にも寄りかかってもらったり。
今はもう痛みも治療も年金問題も洗濯物も何の心配も要らないところに行かれたのだからほっとされているはずです。頭ではわかっていてももう一度会いたいなぁなどど俗世にいると考えてしまう。欲張りですね、人間って。
こんにちわ! imakokoさんの文を読んで、涙してしまいました。O氏ってまさにこういう方ですよね。O氏とimakokoさんの出会いも初めて知りました。始めはあの研修もO氏が一人でされていたのですね。きっと、数々の思い出が皆の胸に残ると思います。
返信削除あーさんさん、そうなんです。JASPIE研修は1ヶ月と長いので今でも連絡をとっている仲間がいます。彼らはO氏に励ましのメールやカードを送ってくれていたので、9月に会ったときはO氏のメッセージをビデオ撮影して送りました。「近いうちJASPIE同窓会をやろうね!」と語る姿にこのままよくなってくれそうだね、と話していた矢先に残念な知らせとなってしまいました。O氏との思い出を語るたくさんの言葉が寄せられていますが、I will always remember him as a gentleman and friend.という一言が印象強いです。
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