2012年1月1日日曜日

早朝のテレビ in Tokyo

3時半に目が覚めて片付けをしながらテレビをつけた。日本ではたいてい朝このあたりから活動を始める。お湯を沸かしてお茶を入れてテレビをつける。いつもはあまり見ないけれど、早朝のテレビは結構気に入っている。街角の風景、レクチャー番組、自然と音楽の映像など静かな番組が多い。世界の名峰を映す番組には息を飲み、野生動物や植物の生態に驚いたり。パプアニューギニアの最高峰、ビスマルク山脈のヴィルヘルム山の山頂4509mからの景色はすばらしかった。300以上の部族が今も精霊が宿る神山として守っている。そんな事実をあたたかな部屋で学べるなんて!

名著を紹介する番組をやっていた。アランの幸福論「Propos sur le bonheur」だ。 昔ヒルの幸福論と一緒に触れた記憶もあるがうる覚え。100分で古今東西の名著を紹介する番組の終わりの方だけ観た。被災地でボランティア医療活動をした医師が、一人の女性の話をしていた。遺体安置所で二つの花束を持っていた40代半ばの女性に話しかけた。両親が亡くなったと聞きお悔やみを述べると女性は、見つかってよかった。別々に離ればなれになっていたのではなく、住み慣れた家の瓦礫の下で二人一緒だった、と。両親を一瞬にして亡くした悲しみの中でも、アランが言うところの「意志する楽観主義」を実践する姿があった。

幸せだから笑うのでなく、笑うから幸せなのだ、とアランは書いている。和顔施、笑門来福だ。印象に残ったのは87章。「要するに幸福に関しては、推論することも予見することもできないのである。いま現にもっていなければならない。幸福が未来のなかにあるように見えるときはよく考えてみるが良い。それはつあり、あなたがすでに幸福を持っているということなのだ。希望すること、それは幸福であるということなのだ。」今 生きていることの意味を幸福としてとらえる。自分を律しながらこの「意志」を磨き、実践すること。それを忘れないでいたいと思った。

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