母が亡くなって3ヶ月経ちました。遠い昔のように感じるのにさみしさは薄れない。
スカイプしたくてももういないんだなあ。。。としみじみ悲しい。わかっていたこと、だから帰ってくるのが少し憂鬱だった。母の笑顔にはコンピューター画面でいつでも触れることができた、それが私の日常だったから。それだけでもなんて幸せだったのだろう。
時間の流れは着実にいろんなことを飲み込んで混ぜこぜにしてならしてくれる。待たなくても今も止まらない流れのなかに私たちはいる。
昨日は久しぶりにサンフランシスコへ出て数人の友人と会った。しつこく残る毛虫皮膚炎を押さえる薬の副作用で頭痛がひどく、キャンセルしようかと思ったけれど行ってよかった。友人の笑顔とハグはいっつもあたたかい。
素晴らしい秋晴れの午後、毎日通っていた道を歩いても違う街に感じた。仕事最後の日も同じような快晴だった。心は不安で一杯でその思いの磁気がまだ残っていたのか。見慣れた場所にそぐわない自分を持て余した。
久しぶりに会う友人も、知り合いが二人立て続けに亡くなったという。そして別の友人にもがんがみつかったと。
あたりまえのことだけど死はそこここにある。その中で産まれて生きて知り合うご縁がある。見送って見送られて命はつながっていく。
母の好物だったお赤飯が食べたくなった。これも何かのメッセージかな。尊敬できる女性、人としての母に思いを馳せながら彼女の月命日を偲んでいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿