2014年10月6日月曜日

昼下がり

規則正しい生活とかけ離れること5ヶ月目。とてつもなく忙しくしたり庭に出るのもおっくうなくらい引きこもったりで、人生の舵取りができていない。じゃあやれば?でもできない。そんな問答を繰り返すこのごろです。行動あるのみとわかっていてやらないのは開き直って怠けるより罪は重いのだろうか?

ある意味ブログに逃げているので更新は頻繁(苦笑)になってます。外は最高の天気で、真夏日のような陽射しに秋の空が果てしなく広がっています。大好きだった公園のあの道さへ本当にあったのかと思うほど遠い世界に感じます。

明日はグリーンカード更新中の旅行許可申請をしに役所へ行きます。その前にパスポートサイズの写真も撮りに行かなくては。朝のラッシュアワーにハイウエイに乗り見知らぬ場所へ行くという事をストレスに感じている自分に驚いています。人間とは習慣性の動物なんだと実感します。

料理の手際も格段に悪くなったし、少しの事で面倒だなとかできそうもないと思っている自分。仕事をして短時間睡眠でお弁当を作って楽しんでいた自分はもう他人のように遠く感じます。

しかし!ブログを書いているお陰で弁当職人はいたと証明できる。それをモティベーションとして今の心境をどう変えていくか。今の凹みを記すことにより今後また折れそうになった時のために傾向と対策を残しておきたい。自己チューポストですみません。

ミズーリから戻って一週間。お世話になったえみこさんと話していて母の月命日にFBにのせた母の手の写真の話になりました。あの写真をみて今度いらっしゃるお母さまの手の写真を撮っておこうと思ったと。
右肺が真っ白だったので少しでも左肺を楽にするため、いつも右下で横向きに休んでいた母。どうしてもむくみも右に出がちでした。始めて足に出ていたむくみも次第に上半身だけになり、それもひどくなったり落ち着いたりの繰り返しでした。赤味を帯びているけど熱もなく、年の割にはしわもシミも少ないあたたかい手。マッサージしていて、特に深い意味もなく撮った写真でしたが、どこかでいつかこの手には触れられなくなると知っていた自分がいたはず。日付は亡くなる5日前のものでした。
さくらんぼだけ撮ったつもりが母が写っていたことに今気がつきました。点滴での鎮静剤投与が始まる前でしたから目も開けられています。むくみもあり髪の乱れを気にしていたから彼女だけを撮った写真はほとんどありません。

と書いてアップして思い出しました。上の写真は母の事を撮りたくて、でも本人に撮らせてと言えなくてさりげなく撮ったことを。6月29日 11:45 amのことでした。

飛び出した足指がかわいらしくて撮った写真。ペディキュアしようか?とも話していたなあ。むくみ予防のサポーターソックスはMサイズ(線が緑色)がきつかったのに、後半はSサイズがゆるゆるになっていて履き替えるのが楽だったね。それでも足裏は病気の人とは思えないほど柔らかくてすべすべでマッサージが気持ちいいと喜んでくれた。日付は亡くなる当日の朝でした。

もうあのあたたかい手にも、マッサージした土踏まずにも、やわらかい笑顔にも会えない。悲しさは消えないけれど、苦しみから解放されていることは心から安らぎを持って喜ぶことができます。

こうやって少しずつ折り合いをつけながら、その内これほどの贅沢な時間は消えていく。
九州のお寺でダニーと私はお数珠ブレスレットをいただきました。ダニーのは丸、三角、四角の石でできていて彼はお気に入りです。私のは偶然にも母の好きな紫とグリーンの玉。

ある方のメモリアルサービスで伸びてきたあたたかい手。このぬくもりがあるだけでも幸せなんだ。悲しい思いは巡ってくるけれど最後は感謝で終われることがありがたい。母に心配をかけないようにやるべきことをやろう。

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