誕生日当日はお墓参りに行くと決めていました。すると近所の従姉妹夫妻も一緒に行きたいと車を出してくれました。三人で掃除してお参りできて母も、母の生家も喜んでくれたはず。
その後は11歳まで住んでいた街を訪ねました。途中駅でおろしてもらってバスを降りて家までの道を歩きます。うっそうとした竹林は切り開かれ洒落た洋館が建っていたかと思えば、全く変わらない畑もあって、迷わず目的地にたどり着けました。子どもの足でとてつもなく遠かった道や傾斜の急だった坂道は、今の足ではごく普通の距離となだらかな道に感じられました。
母がずっとお世話になっていた美容室が昔の面影のまま営業中の札を立てていて、挨拶しようか迷って一度は通り過ぎて小学校のあたりを散策しました。昔遊んだ友人の家も何軒かみつかり、懐かしい思いで秋晴れの暖かな空の下を歩きました。住んだ家があった場所には今は2軒の家が建ち並び、前の畑にも家が建ちました。
思い切って美容室のドアを開けたら中もほぼ昔のままで、出てきたマダムの笑顔も変わらなくてびっくり。
引っ越してから親戚に家を貸していたこともあり、何度か挨拶には顔を出していましたが、最後に会ったのは20年以上前です。急に立ち寄ったのに温かく迎えてくださり、お昼にできたてカレーをごちそうになりました。
引っ越してから親戚に家を貸していたこともあり、何度か挨拶には顔を出していましたが、最後に会ったのは20年以上前です。急に立ち寄ったのに温かく迎えてくださり、お昼にできたてカレーをごちそうになりました。
さらに目を見張ったのは引っ越し時に母が置き土産とした飾り物が棚の上や戸棚の中にあったこと!見る度に元気かなと思っていて下さったと聞いてじんと来ました。
息子さん二人は独立して家庭を持ち、「二人だけだから又いつでも寄ってね」と何度もおっしゃって下さいました。
そのすぐ向かいは昔よく遊んだMくんとTちゃん姉弟のおうちです。同級生のMくんとも20年ほど前に一度会って懐かしい話をしました。その彼は8年前に心臓の病気で亡くなったそうです。ああ。。。お子さんが3人もいて早くして旅経たねばならなかったとは。
彼のお父さんには会えました。明るく「Mは死んだよ」と言われてその笑顔が出せるまでどういう思いがあったかを考えると。。。おじさんはとても80歳とは思えぬ若々しさで、自分も小学生に戻ったかのようでした。
彼のお父さんには会えました。明るく「Mは死んだよ」と言われてその笑顔が出せるまでどういう思いがあったかを考えると。。。おじさんはとても80歳とは思えぬ若々しさで、自分も小学生に戻ったかのようでした。
美容室のおじさんおばさん、Mくんのおとうさんも母のことをよく覚えていてくださいました。Mくんのお庭の芝はうちから移植したそうで「こんなに増えたんだよ、みんなAちゃん家の庭からもらったのが増えたんだよ」と。ここでも見る度に私たち家族を思い出してくれていたと聞いて、母はなんて多くの人に思い出してもらえる生き方をしてきたのかと涙がこぼれました。その恩恵を被っている私は幸せです。
駅まで送って下さるというおじさんにお礼を述べて、また歩き出しました。三年生まで通った小学校は人数が増えすぎて新しい学校に途中移ったので私は合計3つの小学校に通いました。
その一つと幼稚園もあるかなといってみれば、二つともありました!幼稚園はかなり新しくなっていたけれど旧舎は面影を残しています。ここへの道のりも子どもの時はものすごく遠く感じたけれど今はあっという間。不思議ですね。
その一つと幼稚園もあるかなといってみれば、二つともありました!幼稚園はかなり新しくなっていたけれど旧舎は面影を残しています。ここへの道のりも子どもの時はものすごく遠く感じたけれど今はあっという間。不思議ですね。
帰りはその頃は通っていなかった市営地下鉄線で駅まで移動して、センチメンタルジャーニー終了。
もう二つ大きなタスクが残っていました。母が私が大学を卒業してから継続してサポートしてきた慈善団体二つに母の遺志に沿って寄付をしました。交通遺児、自死遺児をささえるところと世界の子ども達をサポートする団体です。世界中の子どもを気にかけていた母の実の子であれた自分はどれだけ感謝すれば充分なのでしょうか。
これまで私は自分は想像力がある方だと思っていました。でも母がいなくなった後の世界は想像できていませんでした。いつかは来るとわかっていた別れの日はまだまだ先だと思っていて十分な感謝の気持ちを伝えられなかったことが悔やまれてなりません。
用事を終えてほっと一息。友人に電話したら都合よく会えて誕生日を一緒に祝ってくれました。今月終わりにはその友人のご実家方面に一緒に旅行に行く予定です。彼女のご両親はまだまだ健在だけど、今の私は近い友人には元気なうちに聞けること、できることをやっておいた方がいいよ、後で笑い話にすればいいのだからと伝えています。今私が死んだらどこに何があるかダニーだってわからない。そんな状況を見直すためにも絶対やってくるその時に慌てないように、自分も身辺整理を始めています。
母のモノを片付けに帰ってきたのに、今の私は自分の昔の写真を整理して、数年前母がやっていたように友人達に希望があればその写真を送り返すことも始めました。
いい話をシェアしてくれてありがとう。ちょっと涙がでた。
返信削除えみこさん、長い雑文を読んでくれて、そしていつも変わらぬサポートありがとう。お母さまとの時間、思いっきり楽しんでね。
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