今日も今日とてハッピーアワー。仕事で忙しい友人とうまくスケジュールが合いさへすれば、夕刻のこの時間はまさにゴールデンタイムです。
彼女は10年以上前になりますが2 年の間にお母さま、お姉さまを始めご親族数人を立て続けに見送りました。
でも彼女自身の拠点は米国でご自身の家庭も仕事もこちらベース。それで急に逝かれたお母さまのお家の整理を米国と日本を行ったり来たりして片付けて、そうこうしているうちにもう一人の肉親のお姉さまが若くして旅立たれて。
彼女も母親と別れたことが人生で一番辛い出来事だったと今も思うそうです。口論で終わる電話も中にはあったけれど、最後に話したときはいい雰囲気で電話を切れたこと、これが違っていたらその後の人生にすごい影響があったと思うと。
これは理屈ではないのですが、母を見送って心が痛すぎる時思ったことがありました。「ああ、私はこういう思いをする人間をこの世に一人少なくしたのだ」と。冷静に考えるとおこがましすぎます。例え子宝に恵まれていたとしても、私が子から慕われる母になれるかどうかはなはだ疑問です。それでも本能が母と子のつながりの深さ=切れたときの悲しみと絶望はどんな親子でも共通であると知らせたというか。子育てで育てられるという経験はもとより、今まで受けた愛を注ぐ立場になって学びたかったという気持ちは今でもあります。でも陰陽一つで見方次第、両方は選べないのだから今回の人生は子供がいない分できることをやるしかありません。
彼女のお母さまとの最後の会話ように終わりよければ全てよし、ということはいつこの人生が終わっても後悔なきよう日々行動する。毎日の生活はこの一言に限るんですよね、きっと。今日が最後と思えばひねくれたり、妬んだり、意地悪になる余裕なんてないし。ここでまたA Single Manを思い出しました。
そんな大変な苦労を乗り越えてきた彼女に「大丈夫、なんとかなるよ、悲しみも今日より明日、そして一週間後と楽になって行って、いつか大丈夫になる日は来るから」といってもらえることがどれだけ救いか。
一歩進んで十一歩下がるみたいな毎日だけど、この言葉を胸に自分なりに進んで行こう。
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