北米に移住する前、ロンドンで8年暮らしていました。最初の6年半はテムズ川の南のClaphamという地域に住み、Greenwichまで学校に通い、次の年は北の学校へ。時間通りに来ず、前触れも無くキャンセルされる電車にストレスを感じ、冬の日照時間の少なさに鬱になり、ベッドから起きだせなくなりました。治療として目玉にライトを照射するサンバイザーみたいなのをかぶったことも今となってはいい思い出です。
東に歩けば、Brixton。ここはカリブ系移民のコミュニティ。オクラやプランタンなどを買いにElectric Avenueのマーケットまでてくてく歩いて行きました。Electric Avenueは82年のEddy Grantのヒット曲にもなったところ。日本で曲を聴いた当時は自分がそこに歩いて行ける距離に住むことになろうとは思いもせず。彼の曲は陽気なカリブのメロディにカタカナ英語でときに響く悲哀が味わい深く(高校生で何がわかってたのか?)大好きでした。東京公演がドタキャンされた時の落胆は今でも覚えています。
何でそんな昔のことを思い出したかというと、ずっとキッチンで使っている茶こしから。とてもきめが細かく、クッキー、ケーキ、クレープなどに抹茶やきな粉や粉砂糖をふりかける時に重宝しています。枠はプラスチック製で高価な物ではないのに同じものを探しても見つからないのです。何処で買ったのか考えたらBrixtonのMorleysという百貨店だったことを思い出しました。そこで買った他のキッチン用品もまだいくつか役立っていることに気づきました。
そしたら今日、職場のシェフがBrixtonとClapham界隈に4年住んで居たと!そのうちの2年は私と時期が同じです。彼はNew Zealand出身で今はSan Francisco住まい。しばしロンドン界隈の昔話で盛り上りました。BrixtonにはRitzyという歴史ある映画館、Brixton AcademyやThe Fridgeといったクラブもあり、マルチエスニック文化が満開でした。ちょっと北のElephant & Castle (駅名。象と城なんていい感じでしょ)にはMinistry of Soundがありました(今もあるけど私的には遠い昔)。
当時金融街で働きながら、BBC World Service TVでも仕事してたことがあります。番組予告版の日本語吹き替えが仕事。ドキュメンタリーや旅、料理番組などの英語版予告編を日本向けに時に映像や長さを編集。そしてキャッチフレーズを日本語で考えて吹き替えも時に行うというもの。仕事を終えてからスタジオ入は早くても7時、帰りはタクシーで午前様が殆どでしたが、続いたのは楽しかったから。作品ビデオ(当時は!)も貰いましたがPALシステムだったから処分してしまいました。なんだか懐かしいな。覚えているのはMartin Luther King Jr.の誕生日前後に放映されたドキュメンタリー。武力では解決できない闘争がある、そんな趣旨のトレイラーでした。
住んでいた家から歩いて30秒のところにTied House(特定のビール会社の製品を扱うパブ)があり、よく行きました。ポテトチップスだけでビールをちびちび飲む風習。閉店15分前にけたたましくなる鐘で、全員が最後の一杯を買いにカウンターに集まってくる感じ。そして閉店時間には、どんなに寒くとも容赦なく開け放たれるドア。東京とは全く違った風景はあんなに不思議だったのに、今はとても懐かしい一コマです。
0 件のコメント:
コメントを投稿