最近「大変だぁ!」と思うことが少なくなりました。なにごともあるがままに見られるようになったなんて言うつもりは毛頭ないのですが、以前はことあるごとに口にしていた「大変」という言葉が会話にでない事にふと気がつきました。
開けていない封筒の山を見れば頭を抱えるし、複雑な文書を目の前にして目が疲れることもある。世の中の悲しいニュースを聞けば心は痛む。友人知人の心配事を聞けば「悲しい」し何かできないか「焦り」限界を感じて「落ち込む」ことはある。でも以前は自分の日常が「大変」に占領されていたかも。
仕事が無くて「大変」。道が混んでて「大変」。台所が狭く効率よく料理が出来なくて「大変」。物価が高くて「大変」。仕事を除き他の状況はいっさい変わっていません。でもそれらを大変とは思わなくなりました。
通勤時間が長いこと、弁当作りで睡眠時間を削っていたことなどを知る友人知人は口を揃えて「大変だねえ!よくやるよ、信じられない!」と言います。でもなぜか腑に落ちないんです。前は「そうそう、そうなのよ〜」で続きの会話ができたのが、「大変」じゃないので続きがなし。
そうしているうちに人々それぞれの「大変」に興味をそそられています。この人は何を「大変」と思っているか。健康によい食事をしたいと思いながら、料理は「大変」と思い込んでいる人。そういう人たちからアドバイスを求められ、具体例で簡単さを話してみても、料理=大変の思い込みは固い。なんかもったいないなあ〜と思ってしまうのです。
度を超してお気楽になったわけではないけれど、「大変」のラベルを外せば、そこにあるのはただの現象。それをどう料理(解釈)するかは自分次第、「大変」が自分の枠を越えるきっかけになるかも?
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