2013年10月2日水曜日

手段は二の次

オレゴンワインカントリーの旅は続きますが、ちょっと最近の気付きについて。

ふとしたきっかけで、ポケットに160円のみで自転車旅行にでた岩崎圭一さんの事を知りました。日本中をママチャリで旅行し、もらったフェリーチケットで韓国(大陸)に渡り、なんとエベレストまで登ってしまった人です。ガンジス河も手漕ぎで下ったらしい。未だその辺の話は読んでいないので、これからが楽しみです。今現在もイタリア近辺を旅行中でいらっしゃいます。

こういう方のお話にふれて、まずすぐに思い浮かんでしまう質問。どうやってxxxできたの?

自転車はどこに停めておくの?盗まれないの?言葉、ご飯、お風呂とか異国での苦労はあるでしょうに、どうやって乗り越えてる?エベレストの登山料どうやって捻出したの?(岩崎さんのブログで想像を遥かに超える資金がエベレスト登山に必要だと知りました)とか。岩崎さんご自身は路上で手品をやって稼いだりもされているみたいです。

このよく言えばディテール、悪く言えば細かすぎる質問は、まさに自分が日々そういう仔細なことを気にして(とらわれて)暮らしているからと気がつきました。

このブログにしたって、ついつい詳細まで書いてしまう。記録に残したい、またなにかの参考にしてもらえればという気持ちもあるけれど、自分にとって手段、プロセス、手順、方法、そういうものが大事だったのだと気付きました。

一方で、本当にそういうものは大事なのかな?と、思った訳です、岩崎さんの事を知って。だって例え私が彼がとった手段全て詳細に継承できたとしても、それを再現できる確証はないから。

彼の中にあったのは何よりも熱き思い。
それがあれば手段はなんだっていいし、始めに見えてなくても出てくるものなのでしょう。

ちょっとそこから思いを馳せて、日本で受けた教育についても考えてしまいました。答えが決まっていてそこまでどう行きつくか?効率的な手段、誰にでもわかりやすい模範解答。そういうものを求めるようにがんばってきた自分の姿に気がつきました。そしてそれをスムースに再現できなかった自分が、アメリカ留学で苦労しながらもなんとか生き残れたのは、模範解答がなかったからなのかと。

仕事でまた大きな変化の波が起こっている今、この気づきはプレゼントだと感じています。。

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