朝は5時に起き、シャワーを浴びて、ダイニングホールでお茶をいただくのが習慣でした。瞑想ホールもダイニングホールも24時間空いていて、好きな時にお茶や空腹であれば備え付けのスナックを食べることもできます。食べ物は用意された物だけを食べましたが、お茶は一日のはじめと締めくくりに。昼は高く青い空も、明け方は霞がかかり空気が甘露を含んだよう。
今回痛感したのは、私たちは肉体を持つもの "Embodied being"だということ。座っていれば足腰が痛み、寝不足であればどこであろうが瞼が重くなる。コンピューターを使わず、ペンも持たない生活でも、膝に置いた手筋が腱鞘炎の痛みを蘇らせる。朝食のボウルのなかで混ざるグラノーラとバニラヨーグルトがスプーンで口に運ばれた時の感覚。ナッツが奥歯で噛み砕かれる様子。あたたかいジンジャーティーが喉を通り食道を伝い、胃を温めていく変化。初めて口にする皮をむかない桃の瑞々しさ。汁を飛ばさない程度にグレープフルーツを一房ずつ切り離すために指が必要とする力。体があるから味わえる喜びと、体を持つゆえにある痛みや苦しみ。
痛みから目を背けるのではなく、観察し共存すること。身動きが限られた環境で痛みを感じたことは、ある意味貴重な体験でした。
小川にはアメンボの姿が
当たり前のことを再認識する機会って、普段の生活にはあまりないのかもしれません。7泊8日は長く感じた?短く感じた?
返信削除7泊8日は予想に反して長く感じました。言葉を発せない、夜眠れない、座っていると体が痛いとかの理由からではなく、心と体が同じ場所になかったように感じていた。もっと集中できるだろうと思っていたので驚きでした。今更ながら常に同じ物や状態はないのだ、ということなんでしょうね。
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