2010年7月21日水曜日

Spirit Rock再び Part 3 - Sense of Community

今回もう一つ感じたこと。それはCommunity意識。私の中でコミュニティとは、簡単に言えば共通の課題や興味を分かち合う人々の集まりです。 Wikipediaで見ると、生物学的な定義はできていても、社会学的には様々な定義があって、いまだ一つの定義に落ち着いていないのだとか。50年代には94もの個別定義があったというのですから驚きです。

Spirit Rockに集まる多くの人々はEast BayやSan FranciscoのMeditation CenterのSangah(サンガ=パーリ語で集いを指し、同じ目的を持つ人々の集まりの意)に参加しています。そしてSpirit Rock以外のリトリートにも出かけていきますが、気づくと自分一人がpeople of colorであることに気づくことが多いと言います。先生も周りの人々も皆白人。その中でふと孤立感を感じることがあると。それを聞いて私は正直驚きました。同じ瞑想という手段で”いま”に集中する努力を行っている人たちの中でも肌の色や文化の違いで孤立感を感じる。それは孤立感を感じる側で壁を作っていることになりはしないかと。

People of Colorの人々向けのリトリートは全米に二つしかないそうです。今回指導してくれた先生たち5人のうち2人は初期の設立から努力を続けてきた人たちで、people of colorの人たちによるイニシアティブが進んできたとある意味誇らしげに語ります。終わりに体験や感想をシェアする時間があり、何人もの人々が同じ人種&文化をシェアできる仲間とプラクティスできたことの喜びを語っていました。

帰り道、友人のRとCに疑問を投げかけてみました。Rは8歳の時にフィリピンから家族とミズーリ州に移住、アイビーリーグの大学と大学院をでた才女です。Cは日本人の母上と海洋物理学者のイギリス人父上との間に生まれ、彼もまたアイビーリーグの大学を出てフロリダや広島でも育った経験があります。その彼らさへも、他の人たちが言う”ほっとする感”はわかるといいました。そして、私に実感がないのは、私が日本で育ったからであろうと。

教育もあり、社会的地位のしっかりした基盤で育っていても、彼らは自分が他の大部分の人たちと違うと感じながら成長してきたと言います。Rは、先週スーパーのレジで見知らぬ人から何の脈絡もなく『自国へ帰れ』と言われたそうです。人種的大多数が存在しないカリフォルニアにおいては信じられない出来事です。Cも外見では日本人の血があるとはわかりにくいくらいですが、幼少時にからかわれた記憶はたくさんあると言います。

確かに東京で育った私にはそのような経験はありません。高校時代アメリカに留学した時は、日本人であることは意識する場面は多く、時にからかいの言葉も受けました。でもある程度覚悟というか、そのような言動は無知のなせることと理解できる分別ができていたので、自己のアイデンティティは影響を受けなかったと思います。それは私が行った先が南部だったことを考えると幸運だったのでしょう。

子供の頃に理解できずに壁を感じずにはいられなかった移民の子供たち。理性ではわかっていたとしても、細胞レベルの記憶がpeople of colorというコミュニティを意識しているのでしょうか。彼らがコミュニティと口にするとき、帰属意識という観点からだけではとられられない何かがあると感じました。

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