2016年1月4日月曜日

日本 2015 初冬 Day 1&2 東京

遅ればせながら、去年11/27-12/17の日本の日々を振り返ります。

Thanksgivingに日付が変わってすぐに羽田便が飛び立ちました。カウンターでプレミアムエコノミーにアップグレードして正解でした。両端に誰もいない席でゆったり、新作映画を数本観て、本を読んでうとうとすれば12時間のフライトも短いものです。

ぐっと寒くなったとニュースや人づてに聞いていたけれど、パロアルトの朝晩の方がずっと冷えます。5時半には家に着き、鍵を開ける時やっぱり複雑な気持ちにはなったけれど、次第に明るくなる空に元気づけられて散歩に出ました。

満潮にあたったようで、いつもより砂浜がかなり狭く感じました。
帰国初日は定番タスクの書類の整理、親戚や友人との電話、クリニック巡りをこなしているうちにあっという間に過ぎて行きました。鉄道旅行の指定券を予約するため、みどりの窓口へ。リサーチ結果を貼った手帳を若い駅員に見せたら、ものの15分で発券完了です。
世の中には奇特なてっちゃんがたくさんいて、席からの眺めについてのアドバイスも沢山あります。午後は夕陽が差し込むから日に当たりたくない人は避けるべきとか、窓枠が気にならなず広く景色が見えるのはどちら側とか。また何も言わなくても通常東海道新幹線下りでは富士山側の窓席をとってくれるし、至れり尽くせりです。

便利と言えば、美術館の割引予約券もコンビニで買えました。マルチコピー機からサービスサイトにアクセスして、航空券や遊園地の入場券まで求めるチケットをプリントアウトしてレジで払う仕組み。

その他、施設のウェブサイトで割引を見つけたり節約できる所は節約。ちなみに宿はオンラインで全て予約しました。全てレビューをチェックするのはムリなので、土地勘がない場所の宿探しは直感が勝負。なかなかうまく運びました。夕方は母もお世話になった整体の先生にご挨拶にいって、ストレッチも長めに施術してもらいました。母のベッドは寝心地がよくぐっすり眠れた初日でした。

翌土曜日、4時半に自然に目が覚めた時は一瞬どこに居るのか分からず、母のベッドと気付いた瞬間に2014年の冬にタイムスリップしてしまいました。時差ぼけが母不在の家で感じるちぐはぐ感を大きくしてしまったか。快晴の一日は散歩の後、家のお片づけ。
夜は叔父たちと従兄弟たちのと食事会でした。働き盛りの従兄弟たちも一人暮らしになった叔父の元へ定期的に集まっています。叔母たちも毎月の昼の集まりを継続できていて、健康とは本当に有り難いですね。なかでも一番元気なのはお姉ちゃんね、と言われていた長女の母。全員揃うと余計に目立つ母の不在ですが、皆が元気で集まれているのを誰よりも喜んでいるのは彼女かもしれません。

用事のアポを優先しつつ、友人たちとの約束も固まり始め、旅行日以外は昼も夜も誰かしらと会えることになりました。

今回も母亡き後、心身ともに多くの場面で私を支えてくれた年上の従姉妹に会うのを楽しみにしていましたが、彼女は郷里に帰っていました。お母さまが元気なうちに長めに帰ろうと思っている、と去年から話していたのを実行に移して。息子たちも家庭を持ち、ご主人も自立しているので留守にするのはそれほど難しくないと。自宅にいれた挨拶メッセージをご主人が転送してくれて、電話がかかってきました。マンスリーマンションを借りて仕事をしている妹さんと同居するお母さまの元へ、毎日片道一時間かけて通っているそうです。道中の花々や樹々の移り変わりを愛でながら歩くのが楽しみだと。なにをするわけでもないけれど、一緒にいて話をして相づちを打って。足が弱ったお母さまとの散歩は近所を一回り。それでもね、一緒に居るだけでね、といつもの穏やかさで話します。
最後に母と一緒に歩いたのは、ベイエリアの抜けるような夏空の下でした。ダニーも疲れて先に寝るような日も、食後のデザートを皆で食べて、夜空の下で一服してからベッドへ入った母。一緒に居るだけでもね、と静かに思ったのは最後の病院生活だけでした。いつも思い切り楽しもうとするのは母譲り?と来る1週間の旅程を眺めながら、心は2年前の夏に飛びました。

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